酒豪伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:34 UTC 版)
「アンドレ・ザ・ジャイアント」の記事における「酒豪伝説」の解説
後述するようにアンドレは酒豪として知られ、特にビールやワインの消費量については様々な伝説が残されている。 ミスター・ヒトの著書『クマと闘ったヒト』では、車で800km移動する間に缶ビールを118本飲み、到着後更に5ガロン(約19リットル)のワインを飲み干したと記載されている。 マイティ井上は、札幌遠征時に「二人で一度に瓶ビールを136本空けたことがある」と証言している。その際は「汗とアルコールとオーデコロンが一緒になったようなにおいになった」という。 アニマル浜口によれば、アンドレ(ロシモフ)が来日した際は、移動のために利用する列車や選手バスに大量のビールを積み込んでいたという。アンドレ(ロシモフ)がビールを飲む際もリポビタンDを飲む感覚で飲んでいたという。 キラー・カーンと坂口征二によれば、1975年に新日本プロレスがブラジル遠征を行った際、ロサンゼルス経由サンパウロ行きの飛行機の機内にあったビールを全部アンドレが飲み干してしまい、他の乗客からクレームがついたという。新間寿の証言によると、この時ビールは200~300本用意されてあったという。 ラッシャー木村の息子である木村宏は、国際参戦時のアンドレ(ロシモフ)が、ラッシャーと2人でビールを50ケース(大瓶・中瓶で換算すると約1000本)空けたと証言している。 この他、1980年4月の札幌巡業でサッポロビール園で大ジョッキ89杯を空けた、「タンパの空港で50分でビール108本を空けた」(ハルク・ホーガンによる証言)、「ペンシルベニア州リーディングのホテルのバーでビール327本を空け、さすがのアンドレも気絶した」(ファビュラス・ムーラによる証言)など、消費量に関する伝説は枚挙に遑がない。ただこれらの伝説がどこまで本当なのかは不明。 馬場とは巨人同士でウマが合ったと言い、選手バスでは隣同士に座り二人で冗談を言い合いながらワインを飲んでいたという。そのため、全日本の選手バスにはアンドレ用のワイン冷蔵庫が用意されていた。 ワインは白ワインが好みだったというが、結局は赤・白の別や銘柄に関係なく「水のように飲み干してしまう」状態だったらしく、ハルク・ホーガンによれば「アンドレの誕生日の際に、移動バスにワイン1ダースをプレゼントとして用意したら、出発から2時間半で全部空けてしまった」という。また木村宏によれば、熟成されたものよりも、若いワインを好んでいた 。 一時アメリカでレストランを経営していたが、その目的は副業というよりは自分が消費する分の食材や酒を卸価格で仕入れるためとされる。 元々多かった酒量は晩年さらに増え、ワインを手放せない状態だったと言われる。晩年は体重増加も加わり歩行すらままならない状態だったようで、移動にバギーバイクを使用していた。
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