改装後
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「デ・ロイテル級巡洋艦 (2代)」の記事における「改装後」の解説
本級のうち、「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」は1962年から1964年にかけてミサイル巡洋艦に改装された。艦尾側の主砲塔群が撤去されて船楼部が艦尾まで延長されて全通型の艦形となり、艦後部には新たにテリア対空ミサイルの連装発射機1基及びその弾薬庫を設置、後部上構のボフォース 5.7cm機関砲架1基を撤去して誘導用レーダー(イルミネーター)2基が搭載された。ボフォース 4cm機関砲のうち前部上構両脇の4門は撤去され、半減している。またテリアミサイルの搭載に伴い後部マストに三次元レーダーを設置すると共にマストの場所を2番煙突の前から後ろに移設し、2番煙突はMACK構造として対空レーダーを搭載した。 「デ・ゼーヴェン・プロヴィンシェン」に装備されたテリアミサイルのランチャーとイルミネーターは、ペルー海軍への売却が決定した後に時に撤去された。そして空いたスペースにはASH-3D シーキング対潜ヘリコプター3機を搭載可能な格納庫と発着甲板が代わって装着され、ヘリコプター巡洋艦に改装された。
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改装後(2007-)
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「土浦市立博物館」の記事における「改装後(2007-)」の解説
常設展示室は開館以来、展示内容はほとんど固定したものであったが、1995年(平成7年)に「上高津貝塚ふるさと歴史の広場」が開設されたことで、博物館と歴史の広場との間で役割分担をする必要性が生じた。また開館後の学芸員による調査研究成果を展示に反映させることや、開館後に収集された資料を安全かつ効果的に展示すること、城址に建ち城下町に接する博物館としての性格を強めることなどを目的として常設展示室の改装を行うこととなった。開館当時から、開館から10年後をめどに常設展示の改装を進めることという指針があり、1998年(平成10年)から検討が開始され、2003年(平成15年)度に博物館は『展示改装基本計画書』を策定した。改装に関わる具体的な計画や改装設計、展示用の映像資料の制作は丹青社に、模型やレプリカの制作は京都科学標本に委託され、改装工事のため2006年(平成18年)12月28日に一旦休館に入った。改装に向けた準備中に土浦市は新治村を編入したため、新治地区も極力展示に加えるよう、配慮がなされた。 改装工事は2007年(平成19年)5月31日に竣工し、開館から20年目を迎えた2007年(平成19年)7月3日に新装開館した。改装により大幅な展示内容の更新が事実上困難であった常設展示室が、柔軟に展示内容を変更できるように生まれ変わった。改装後は春夏秋冬の年4回展示替えを行うこととなったため、常設展示を「季節展示」と呼ぶこととし、展示室だより「霞」の発行や担当学芸員による「展示解説会」が実施されるようになった。 2013年(平成25年)には、カプコンとの共催で「婆裟羅たちの武装―戦国を駆け抜けた武将達の甲冑と刀剣―」を開催し、28,057人を集客した。2015年(平成27年)5月から6月に、土浦市立土浦幼稚園保有資料の中から見つかった墨塗り教材3点を公開した。2016年(平成28年)、博物館が所蔵する「色川三中関係史料」が茨城県指定文化財となった。色川三中関係史料には土浦市立図書館が保有していた「色川文庫」や、黒船来航・土浦藩への批判などが書かれた色川の日記「片葉雑記」などがある。
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改装後
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当初は改装時に機関換装を行い、速力を29.3ノットに向上させると共に、ボイラー数の減少によって捻出したスペースに格納庫を設置し、9機の航空機を搭載する予定だった。搭載機用のエレベーターも昭和7年に日立製作所より、横須賀工廠に納入されたが機関換装は中止され、改装は防御構造の強化にふりむけられより重防御となった。 改装後の長門型は重油専燃となり、10/10全力公試で排水量43,473トン、機関出力88,445馬力での25.8ノットを発揮したことがある。こうしたことからも、改装による速力低下は実質的には最低限に抑えられていた。レイテ沖海戦で同部隊の大和が26ノット以上の速度で2時間半以上走り回っても、同行する長門が落伍しなかったことが、このことを証明している。改装前の航続力は16ノットで5,500浬だったが、改装で10,600浬とほぼ倍加した。
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