拉致と北朝鮮での日々
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 07:08 UTC 版)
「申相玉・崔銀姫拉致事件(英語版)」も参照 1976年、崔銀姫は申相玉が若い女優呉樹美(オ・スミ)との間に2人目の子どもをもうけたという報に接し、22年間連れ添った申と離婚した。彼女はこのとき50歳であった。 崔と申は離婚後、それぞれ別の理由からではあるが、ともに仕事を失いはじめた。彼女は1978年1月11日、彼女の経営する安養映画芸術学校を支援し、また、ともに映画会社を立ち上げようと申し出た実業家(を装った人物)に会うため、香港を訪れた。申は崔に香港に行くことはやめた方がよいと言ったが、彼女は久しぶりに一人で海外に出かけた。そして、北朝鮮の次期最高指導者であった金正日の指令を受けた工作員の謀略によって香港から北朝鮮へ拉致された。1978年1月22日、彼女を乗せた船は8日間かけて北朝鮮の南浦港付近に到着したが、その間、彼女は何度も帰してくれと泣いて訴えたが、何回も薬を打たれ、眠らされた。彼女が北朝鮮の地を初めて踏み、桟橋から降りると、前から歩いて来る少し太めの男性の姿があった。その男性は、次のように自己紹介し、崔銀姫に手を差し出して握手を求めた。 ようこそ、よくいらっしゃいました。崔先生、わたしが金正日です。 拉致された後の彼女は、金正日の別荘に連れて行かれ、夕食やパーティによく付き合わされた。金正日はコニャックをことのほか好んでおり、いつもヘネシーを飲んでいたという。彼女を拉致した理由は、北朝鮮の映画や芸術の向上に力を貸してほしいというものであった。ある日、崔銀姫は劇場で数人の男性に引き合わされた。それは、崔の拉致を指揮した労働党調査部副部長の任浩君、労働党連絡部長の李完基、それから拉致実行犯の工作員3名であった。崔はあまりの恐怖に作り笑いをして応えるよりほかなかった。金正日は、崔銀姫がどんな反応をするのかを心ゆくまで楽しんでいたのである。 彼女の拉致後、彼女の捜索活動にあたっていた申相玉もまた、同じ年の7月、北朝鮮工作員によって拉致された。申相玉を拉致したのは、崔を拉致した実行犯と同じ3人であった。申相玉はのちに、日本で同時期に拉致犯罪を繰り返していたのは間違いなくこの3人だと発言している。崔銀姫と申相玉の2人はしかし、1983年3月まで対面することなく北朝鮮で別々に暮らした。 北朝鮮での抑留生活の中、彼女はローマ・カトリックに改宗した。これは、彼女が東北里の招待所に収容されている1979年から1980年にかけて、散歩中にポルトガル領マカオから拉致されてきた「ミス・孔」(本名、孔令譻)という中国女性と出会い、親密になった影響による。「ミス・孔」と出会う前、彼女は東北里でヨルダンから拉致されてきた女性とも遭遇した。彼女からはクリスマスにシフォンのスカーフを贈られた。 「ミス・孔」はマカオのリスボア・ホテルの宝石店で働いていた1978年7月、蘇妙珍というもう1人の女性とともに拉致されたカトリック信者で、拉致当時20歳であった。彼女たちは在北朝鮮インドネシア大使館にかけこんだが、大使館は北朝鮮側に彼女たちを引き渡してしまったという。1982年1月、崔は「ミス・孔」と東北里で再会した。3月に別れるまでしばしば会い、親しく語り合うなかでカトリック信者となり、孔は自身の洗礼名「マリア」、崔銀姫は孔によって与えられた「マザリン」の名で互いに呼び合うようになった。 ある時、年老いた理容師が崔銀姫に「東北里の招待所に拉致された日本人女性がいる」と語ったことがある。理容師はさまざまな招待所を巡回して多くの要人・賓客の髪をカットしていたので、誰がどこから拉致されたか等すべてを知っていた。彼の話に出てくる女性はいつも「日本に帰りたい」と悲嘆にくれていたという。彼から聞いた彼女の容貌は、北朝鮮から脱出した後にみた田口八重子の似顔絵にそっくりだったという。 1983年3月8日、金正日の主催する宴会の席で崔銀姫と申相玉の2人は引き合わされ、再会した。崔は、申がこの場にいることに心底驚いた。「抱擁しなさい。なぜ立ったままでいるのですか」と金正日が声をかけた。崔と申は金正日の勧めもあって再婚した。金正日は2人に映画を作らせ、その中には彼女が第14回モスクワ国際映画祭(英語版)で最優秀女優賞を獲得した1985年の『塩(ソグム)(英語版)』も含まれる。金正日は映画マニアで膨大なコレクションを平壌に有していた。崔銀姫は後に、2人は「体制を称賛するプロパガンダ映画ではなく、芸術的価値のある映画」を制作することはできたが、金正日が彼女を拉致監禁したことは許すことができなかったと語った。崔銀姫は、北朝鮮から脱出した後に備えて金正日に関する記録を集めようと考え、バッグのなかに録音再生機器を隠し持っていた。そのとき録音した金正日の肉声を収めたテープは現存し、1994年にNHKニュース7で紹介されたほかドキュメンタリー映画にも使用されている。ある時、夫妻が招かれた会食で歓迎の拍手をする部下たちを見ながら、金正日が彼女の耳元で「あの賞賛は全部ウソです」とささやいたことがあったという。彼女は、そこに独裁者の孤独を強く感じた。 韓国帰国後も、彼女は自らの拉致事件を思い返すたびに「腸(はらわた)の煮えくり返るような怒り」でいっぱいになるという。
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