拉致の情報
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1996年(平成8年)10月号で石高健次の書いた記事が「現代コリア」に掲載された。このことが発端になり、1997年(平成9年)2月号の「アエラ」「産経新聞」などで取り上げられた。この記事を高世仁が安明進に確認し、めぐみが拉致にあったことが判明する。 横田夫妻の元に参議院議員橋本敦の秘書兵本達吉を通じて、1997年(平成9年)1月21日に長女・めぐみが北朝鮮に拉致されているという情報が伝わり、横田滋が議員会館で詳しい情報を聞いた。そのころ、早紀江は何も知らないまま、千葉におけるキリスト教の集会で、「せめて娘がどこにいるのかだけでも教えてください」と、仲間とともに祈っていた。帰宅後、滋から今日入った情報について聞かされ驚くとともに、「生きていたのね、めぐみちゃん」と、失踪から19年目にして初めて希望を見出す。この日の情報をもとに、「めぐみさんを救う会」が結成される。その後全国23箇所で「救う会」が結成される。 1997年(平成9年)3月14日、ソウルに行き元北朝鮮工作員の安明進にめぐみの消息を聞く。このとき、横田夫妻が持参した多くの写真のうち、拉致の約1ヵ月前に新潟空港で滋が撮っためぐみの写真を見て、安明進はこの写真が自分が北朝鮮で見た女性と一番よく似ていると証言した。新潟を訪ねてきた滋の父親が北海道に帰るのを一家で見送るために、新潟空港に行ったときの写真だ。このときの写真が、拉致前、めぐみが日本国内で撮られた最後の写真でもある。初めて髪を短くした直後でもあり、この写真の顔が早紀江にとっては、その後探し求め続ける娘めぐみの面影となった。韓国から帰国後の3月25日に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成される。 2000年(平成12年)5月、いのちのことば社のチャペルが提供され、東京で毎月行われる「横田早紀江さんを囲む祈り会」が開始される。十数名からはじまった祈祷会であるが、チャペルは満員になった。2001年11月アムネスティ・インターナショナルのインターナショナル・ジャスティス・ミッションにゲストとして招かれる。
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