拉致の情報とは? わかりやすく解説

拉致の情報

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 09:01 UTC 版)

横田早紀江」の記事における「拉致の情報」の解説

1996年平成8年10月号で石高健次書いた記事が「現代コリア」に掲載された。このことが発端になり、1997年平成9年2月号の「アエラ」「産経新聞」などで取り上げられた。この記事高世仁安明進確認し、めぐみが拉致にあったことが判明する横田夫妻元に参議院議員橋本敦秘書兵本達吉通じて1997年平成9年1月21日長女・めぐみが北朝鮮拉致されているという情報伝わり横田滋議員会館で詳しい情報聞いた。そのころ、早紀江は何も知らないまま、千葉におけるキリスト教集会で、「せめて娘がどこにいるのかだけでも教えてください」と、仲間とともに祈っていた。帰宅後、滋から今日入った情報について聞かされ驚くとともに、「生きていたのね、めぐみちゃん」と、失踪から19年目にして初め希望見出す。この日の情報をもとに、「めぐみさんを救う会」が結成されるその後全国23箇所で「救う会」が結成される1997年平成9年3月14日ソウル行き北朝鮮工作員安明進めぐみの消息聞く。このとき、横田夫妻持参した多く写真のうち、拉致の約1ヵ月前に新潟空港で滋が撮っためぐみの写真見て安明進はこの写真自分北朝鮮見た女性と一番よく似ている証言した新潟訪ねてきた滋の父親北海道帰るのを一家で見送るために、新潟空港行ったときの写真だ。このときの写真が、拉致前、めぐみが日本国内撮られ最後写真でもある。初めて髪を短くした直後でもあり、この写真の顔が早紀江にとっては、その後探し求め続ける娘めぐみの面影となった韓国から帰国後の3月25日に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」が結成される2000年平成12年5月いのちのことば社チャペル提供され東京毎月行われる横田早紀江さんを囲む祈り会」が開始される十数名からはじまった祈祷会であるが、チャペル満員になった2001年11月アムネスティ・インターナショナルのインターナショナル・ジャスティス・ミッションにゲストとして招かれる

※この「拉致の情報」の解説は、「横田早紀江」の解説の一部です。
「拉致の情報」を含む「横田早紀江」の記事については、「横田早紀江」の概要を参照ください。

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