拉致・リンチ・暴行死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 05:31 UTC 版)
しかし、英会話教室からアパートに帰宅する際、尾行していた不動塾の「拿捕隊」により所在を突き止められ、1987年6月9日午後9時半頃に、香川塾長や塾生5人がバールを使いシャッターをこじ開け侵入し、エアガンなど凶器を使い、殴る蹴るの暴行を加え衰弱した状態にして拉致・連行した。 1987年6月10日深夜0時過ぎ、塾に到着後、罰として少年を1階の土間にあるバーベル用のベンチにうつ伏せに縛り上げ、口に軍足を押し込んだ状態にして、1人10回ずつ金属バットで臀部を手加減無しに叩くよう塾生らに指示し、塾長と塾生で合計約220回殴打した。その後2階で塾生による塾長黙認の鉄パイプ、熱湯などを使った執拗かつ凄惨なリンチが未明まで続き、少年はおよそ6時間後に外傷性ショックで死亡した。 その後、香川塾長と塾生2人が監禁・傷害致死で逮捕された。塾生2人は不起訴となったが、香川塾長は起訴された。1989年2月14日、浦和地裁秩父支部は塾長に求刑5年に対して、懲役3年6ヶ月判決が下る。1989年12月5日、東京高裁は一審を破棄、懲役3年が確定。 また母親は不起訴となったが、香川塾長の逮捕後に母親は「息子を死なせてしまったのは全て私の責任で私が悪いんだ。香川塾長は悪くない」と香川塾長を庇っていた。
※この「拉致・リンチ・暴行死」の解説は、「不動塾事件」の解説の一部です。
「拉致・リンチ・暴行死」を含む「不動塾事件」の記事については、「不動塾事件」の概要を参照ください。
- 拉致・リンチ・暴行死のページへのリンク