拉致事件の発生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 07:15 UTC 版)
「ナイジェリア生徒拉致事件」の記事における「拉致事件の発生」の解説
2014年4月14日夜から翌15日にかけて、ボコ・ハラムの民兵集団がナイジェリア、チボクにある公立の女学校を襲撃した。集団は学校に押し入り警備に当たっていた警察官数名、そして兵士一人を殺害した。多数の生徒がトラックに押し込められ、ボコ・ハラムの要塞化された拠点があることで知られるサンビサ森林(英語版)内のコンドゥガ(英語版)地区へと連れて行かれたものとみられている。また、チボクでは事件の中で家々も焼き尽くされていた。事件に先立ち、治安の悪化により学校は四週間にわたって閉鎖されていたが、物理の修了試験を受けるために複数の学校から生徒が集められていた。 近隣の村々から530名の生徒が後期中等教育認定試験に登録していたことが分かっているが、そのうちの何名が襲撃の時間に現場に居合わせたかははっきりしていない。少女たちは16歳から18歳の卒業を控えた生徒だった。第一報では85名の生徒が拉致被害に遭ったとされた。週末、4月19日になると軍は129名の被害者のうち100名以上が解放されたと発表したがそれは撤回され、21日になると生徒の保護者たちは234名の女生徒たちが行方不明であると発表した。二回にわたり何人かの生徒のグループがテロリストからの逃亡に成功している。警察によれば5月2日現在、被害者は276名、うち53名が自力で戻ってきているという。別の報告では329名の少女が誘拐され、53名が逃亡に成功し276名がいまだ行方不明であるとしている。 後にアムネスティ・インターナショナルは、ナイジェリア軍は事件発生の4時間も前に襲撃計画の情報をつかんでいながら、学校を守るに足るだけの戦力の増援に失敗したという報告をまとめている。ナイジェリア軍は4時間前に襲撃計画をつかんでいたことを認めたうえで、限界を超えて広範囲に展開している軍に援軍を送る能力は無かったとしている。
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