戦争:夫不在の苦しい生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 08:29 UTC 版)
「青木鶴子」の記事における「戦争:夫不在の苦しい生活」の解説
すごく芯の強い人でした。ハリウッドでのきらびやかな生活を完璧にこなしてきたスター女優が、まったく違う境遇になって戦時中・戦後の日本での苦しい生活も乗り越えた。特技といっていいほどです。どん底の暮らしになっても、ちっともみじめったらしくない。子供に十分食べさせたい一心だったのでしょうが、強い母ですよ。 早川雪夫の妻徳子(鎌倉時代の鶴子一家の隣人)の証言 1939年9月に第二次世界大戦が勃発し、パリにいる雪洲からの連絡は完全に途絶え、消息さえつかめなくなった。1941年には日本も真珠湾攻撃で太平洋戦争に突入し、戦争中の鶴子たちの生活も苦しくなった。戦争で食糧不足となり、鶴子は虚弱体質の雪夫やまだ幼い2人の娘に必要な食糧やミルクを手に入れるため、家に残っていた書画骨董を売り払い、また自分の服や物を食べ物と交換した。手記によると、着物1枚が正月の餅1枚、布団が練炭1束にしかならず、約19キロのサツマイモを担いで帰る途中に田んぼに転げ落ちたこともあったが、それでも練炭で部屋が暖まり、焼けた餅に歓声を挙げる子供たちの笑顔を見るだけで苦労は吹っ飛んだという。 やがて一家は牛込から家賃の安い鎌倉市へ移住し、鶴子は洋裁で家計を支えた。特殊な事情の国際家族で母子家庭だったため、一家は周囲から厳しい目にさらされた。小学校に通う雪夫もアメリカ人の血が流れ、見た目も白人に見えるため、同級生たちに「アメリカのスパイの子だ」と言われていじめられ、一家は「スパイの家」と名指しされた。成長とともに体が丈夫になった雪夫は小学校卒業後、東京の暁星中学校に通ったが、鎌倉から東京まで毎日通学するのは大変で、雪夫の身体を心配した鶴子は子供たちと鎌倉を離れ、学校に近い都心の新橋へ引っ越した。当時は東京上空にB-29爆撃機が飛来し始めたころで、ほとんどの人は空襲を避けて都心から地方へ避難するのが常識だったため、周りの人々は「あべこべだ」と引き留めたが、鶴子の頭の中には雪夫の身体のことしかなかった。東京移住後まもなく、令子と冨士子は那須塩原へ学童疎開した。 1945年4月15日、鶴子と雪夫は東京南部の大空襲で焼け出された。2人は離れ離れにならないように声を掛け合いながら逃げ回り、家から持ち出せたのは子供たちの保険証と薬と一握りの米だけだった。結婚して日本橋に住んでいた妹のスミも焼け出されたが、鶴子はスミの世話もあって、自由が丘の小さな借家に移ることができた。鶴子はこの家で8月15日の終戦を迎え、その後令子と冨士子が疎開から帰り、母子4人の生活が戻った。鶴子は英語力を活かして、自宅に「英語教授」の看板を掲げたり、新聞社に通訳として働いたりしたが、十分な収入を得ることができず、その後進駐軍の下請け会社で通訳の仕事を得ると、収入が4倍に増えた。それでも育ちざかりの3人の子供にはお金がかかり、雪洲からの送金もないため、生活は苦しいままだった。それを見かねた知人の牛山清人とメイ牛山夫妻は、鶴子を諏訪に設立した美容学校の名目上の校長にして、給料を渡してあげた。1946年12月には伯母の貞奴が亡くなり、鶴子は葬儀に参列した。 働きながら夫の帰りを待ち続ける鶴子は、アメリカ軍機関紙『星条旗新聞』に雪洲の消息情報を求める記事を掲載するよう頼んだ。その頃パリにいる雪洲は、帰国をしたくても当局からの許可が下りず、日本と手紙のやり取りをすることすらできずにおり、日本でもハリウッドでも雪洲の消息を知る人はひとりもいなかった。鶴子は尋ね人の新聞記事のおかげで消息を掴むことができたが、簡単に日本には帰って来られないだろうと思っていた。やがて雪洲は同じく消息を探していたハリウッドの映画会社にパリで発見され、特別待遇でアメリカに渡り、2本のハリウッド映画に出演したあと、1949年10月1日に13年ぶりに日本に帰国した。手記によると、鶴子はその前日に新聞で初めて雪洲の帰国を知り、家中がひっくり返るような騒ぎとなり、その夜はほとんど眠れなかったという。帰国当日、鶴子と3人の子供は羽田空港に到着した雪洲を出迎え、ようやく家族全員が顔を揃えた。鶴子は雪洲と再会した瞬間について、手記で次のように述べている。 ゆっくりとタラップを降りてくる雪洲の姿が見えたとき、12年の歳月の緊張が、一時に私の胸のなかで崩れる音をききました。(中略)思えば私の願いは、ただこの3人の子供たちを雪洲の手にどうして無事に渡すかということにつきていたようです。そして今、その時がはっきりと私と雪洲の上に訪れたことを、誰も知ることができないほどの感動をもって、私は全身に感じていました。
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