心神耗弱による減刑・心神喪失による無罪放免
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:28 UTC 版)
「人権屋」の記事における「心神耗弱による減刑・心神喪失による無罪放免」の解説
「熊谷連続殺人事件」および「ナヨン事件」も参照 凶悪犯罪を起こした被告人(殊外国人)を「犯行時は心神喪失状態だった」といって精神鑑定を受けさせ、責任能力の有無を争点とすることで無罪判決を得ようという法廷戦略が行われるケースが多い。こうすることで、たとえ鑑定結果が正常だとされても裁判の大幅な引き延ばしに繋げる事ができる。故意・過失によって心神喪失状態に自ら陥ったと証明出来ない限りは、損害賠償責任を負わないので、被害者が損害賠償を請求することも出来ない。加害者家族にも監督義務を果たしていなかったことを証明出来ない限り賠償請求出来ないので、実質被害者側が賠償金を得ることは不可能である。 しかし、精神鑑定の議論で重要なことは、“本当に被告人が心神喪失・心神耗弱であったのか”ということである。精神鑑定を受けさせること自体にはなんら問題はないことに注意を要する。そもそも、刑法の理念上、犯罪の定義(構成要件該当性、違法性、責任)のうち、責任が真に欠ければ犯罪ではない(=犯罪不成立)、という“責任なければ刑罰なし”という刑法の原則から、真に責任能力のない者に対して無罪判決を下すことは法的には当然のことである。したがって、精神鑑定の結果、殺傷事件や性犯罪を犯した者が心神喪失・耗弱で無罪になったとしても、被害者感情・被害者親族感情・一般世論の納得が得難いものの法的には問題はない。 2005年12月6日に愛媛県高松市香川町のレストランの駐車場で昼食を終えた20代男性が、見ず知らずの男に包丁で刺される通り魔殺人で死亡した。その後、犯人が統合失調症で付近の病院の精神科に入院中で、社会復帰に向けた訓練で一時外出直後である20分後に起きていた。遺族夫婦によると加害者に下された懲役25年の判決は、重篤な統合失調症の患者であると裁判でも認定された上で、犯罪を計画する意志能力と、犯罪後に自分自身の責任を認識する事理弁識能力が認められて、心神耗弱ではあるが責任能力があり懲役25年の判決が確定したことは画期的だったと述べている。遺族によると過去の判決事例であれば、本人の計画性や認識能力などは一切検討されず、「重篤な統合失調症の患者である」との診断書だけで「心神喪失で責任能力を問えないので、無罪」とされていた人物であった。日本の司法では余りにも安易に、「統合失調症=心神喪失」の公式が乱用されており、医師の診断書でそのまま無罪放免されてきた日本の実状を述べている。僅かな面接で安易に統合失調症の診断書を書く医師、医師自らが診察せずに補助スタッフに問診をさせて統合失調症の診断書を書いたとする事例がある。このように殺人者でも「麻薬の誤用で、混乱状態だったので心神喪失」、「深酒を飲んで、殺害当時酩酊していたので心神喪失」で心神喪失理由に責任が一切問えずに野放なしになってきたと糾弾している。息子を殺害した男に対する懲役25年の判決確定後に、「統合失調症の患者に懲役25年の判決が確定した」と言うと弁護士らから「あなたは間違っています。あなたが統合失調症と言っているだけで、裁判官は病気か寛解しているから、25年の判決を下したのですよ。誤解してはいけません。」と言われて驚愕したことを明かしている。加害者の男に刑事裁判では懲役25年の判決が出た後、被害者の両親は病院の管理責任を問う民事裁判を起こした。民事裁判の一審に続き、2016年に二審でも棄却された原告である被害者の母親は、記者会見で「本当に情けないです。10年がんばりましたけど、あんたら市民はね、いつでも死んでもいいんだよってそう言われた気がします」と指摘した。 法的にも“人権屋”と批判されても反論できないのは、“本当は心神喪失・耗弱状態ではなかったのに悪意を持って精神鑑定を利用する”ことをした場合の時のみであることに留意すべきである。元裁判官高橋隆一も他数の裁判官と一般世論に乖離があることを認め、たとえ責任能力がなく、刑事罰を与えることはできなくても、精神科病院に入院させて一生出さないなどの措置が必要なのではないかと思っていることを明かしている。
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