多方面への活動展開
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「ピーター・ガブリエル」の記事における「多方面への活動展開」の解説
「リアル・ワールド・レコード」も参照 ワールドミュージックに傾倒していることでも知られ、1982年以来、「ウォーマッド」(WOMAD, World of Music, Arts and Dance)フェスティバルを主宰し、ワールドミュージックの普及に貢献している。初回こそ商業的に大失敗して大赤字を出したが、現在では、世界最大規模のワールドミュージック・フェスティバルとして知られている。 さらにウィルトシャー州ボックスにリアル・ワールド・スタジオを建設すると共に、1988年にはワールドミュージックのレーベル、リアル・ワールド・レコードを立ち上げている。これらの活動によって、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ユッスー・ンドゥール等のアジアやアフリカの多くのミュージシャンをヨーロッパ世界に紹介するのに大きな役割を果たした。 また、音楽の他にもメディアアートなど最新の技術を取り入れた創作活動に興味を持っていたガブリエルは、プロモーション・ビデオ製作にも積極的で、そこに曲の宣伝目的以上の芸術的価値を見出していた。とりわけコマ取り[要出典]のアニメーションを多用して作られた前述の「スレッジハンマー」(スティーヴン・ジョンソン監督)のプロモーション・ビデオは大きな評判を呼び、1987年のMTVミュージック・ビデオ・アワーズのベストビデオに選ばれている。同じ年には、メディアアートの世界的祭典であるアルス・エレクトロニカにおいてコンピュータ・ミュージック部門で最初のゴールデン・ニカ賞(グランプリ)を受賞している。 1993年にはCD-ROMとして公開されたマルチメディア作品『エクスプローラ1』を、1996年には『イヴ』を発表した。その他にも、いち早くオンデマンドの音楽配信会社「OD2」の設立に加わったり、iTunesでプレイリストを自動作成するためのアプリケーション「The Filter」の開発に携わるなど、新しい技術にも率先して関わり続けている。 人権活動にも積極的に携わっており、1980年代にはアムネスティ・インターナショナル支援のいくつかのコンサートに率先して参加したほか、1992年にはビデオと通信メディアを利用して人権侵害を監視しようというWITNESSプロジェクトをリーボック人権基金と共に設立している。2004年には、デジタル時代におけるミュージシャンの立場を守るための組合『MUDDA』をブライアン・イーノと共に立ち上げている。 政治的活動にも積極的であり、1992年、血の日曜日事件20周年に際しては犠牲者の無実の承認や責任者の追求などを求め、労働党国会議員や映画監督ケン・ローチなど他の左派の著名人とともにロンドンでの抗議デモを支持した。1997年の総選挙では、「当時のトーリー党〔=保守党〕政権を倒すことに貢献したかったので」としてトニー・ブレアが率いる労働党を支援し、労働党への献金リストにも名を連ねている。しかし2003年、イラク戦争へのイギリス参戦の決定に失望し、以降はブレア政権から距離を置くようになった。2010年、ガーディアン紙はガブリエルを小選挙区制から比例代表制への移行の「筋金入りの主唱者」と紹介し、2013年には旧態依然の政党政治を変革するために電子投票にこれまで以上に興味をもつようになったと表明している。2016年のイギリスの欧州連合離脱(ブレグジット)を問う投票では、イギリスの残留を支持した。 2005年の選挙では、イングランド・ウェールズ緑の党候補へ楽曲のカバーを行う特別な許可を与えた。一方、2012年にアメリカの保守系ラジオショー・ホスト、リンボーが女性人権活動家サンドラ・フルーク(英語: Sandra Fluke)を攻撃したとき、自らの楽曲を使用したことを非難した。 パレスチナ問題に関しては、二国家解決(パレスチナ国家承認)案を支持し、2014年にガザ地区人道支援団体支援のためのコンピレーション・アルバム『2 Unite All』に曲を寄稿した。長年に渡り論争を呼んでいる第一次世界大戦時のアルメニア人虐殺に関してはトルコ政府が組織的ジェノサイドであったことを認めるよう主張し、2020年ナゴルノ・カラバフ紛争においても、トルコのエルドアン大統領によるアゼルバイジャン支援を批判した。
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