多文化教育とグローバル教育のインターフェース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 15:04 UTC 版)
「多文化教育」の記事における「多文化教育とグローバル教育のインターフェース」の解説
グローバル教育と多文化教育は、普遍性と多元性をともに重要視する点で同様の可能性を秘めた教育理念である。しかしJ.コーガン(1999)が指摘するように、多文化教育は白人運動者中心で進められたグローバル教育に反対する形で誕生したという面も持つ。また同時にグローバル教育がどちらかと言えば普遍的な文化の創造を目指す一方、多文化教育は歪められた普遍的な文化の中から固有の文化の再発見を目指すという点で、両者は相反する教育理念とも考えることができる。実際多くの学者がグローバル教育を文字通りグローバルな視点を持つ理念、多文化教育をローカルの視点を持つ理念と捉えているように、一般認識上ではこの両教育理念は、まさに正反対の位置づけが行われているのである。 このような認識は、多文化教育への批判にも見て取ることができる。つまり多文化教育へ批判の多くが、それにより世界を分断するもの、つまり分離主義へと導く理念であるとの指摘である。つまりそこで考えられる多文化教育には、先ほど述べた普遍性を目指す多文化教育像が描かれておらず、両理念の間に2元的な乖離―普遍vs.多元―という構図ができあがってしまっているのである。 しかし現在のグローバルな流れとは、よく言われるように欧米化の傾向であり、決して普遍的な指向性を抱くものではない。つまりグローバル教育の目指すグローバルな世界とは異なるものであり、たとえ多文化教育が、既存のグローバルな傾向からの分離を目指す教育理念であったとしても、すぐにそれがグローバル教育との衝突を意味するものである。さらにはグローバル教育の目指すべき普遍的な文化とは、全く新しいものというよりは、世界中のあらゆる文化を内包した巨大な創造物であり、その前提には各文化が固有のもの持つことが前提とされている。そしてその大前提である固有の文化を保証しようとする運動が「多文化教育」であり、両者は補完的な間柄にあるのである。 その結果、研究者の中にはその同じ方向に目標を持つ両理念を関連づけて論じるものが現れつつある。まず80年代後半にジェームズ・リンチは多文化教育が、その境界を拡大し、様々な教育に共通する目標や概念を包括した「グローバル多文化教育」の必要性を述べている(James Lynch, 1989)。また日本の「ローバル教育研究者の魚住忠久は、「多文化教育」の実践の乏しい日本ではその役割を「グローバル教育」が果たすようになると論じている(魚住、1995)。また箕浦康子は「地球市民教育」を掲げ(箕浦, 1997)、「多文化教育」、開発教育、環境教育、人権教育、平和教育といった多様な概念を包括概念しての「地球的な視野に立つ多文化教育」と説明している。そのような中、森茂岳雄は、先のような類似性からの統合が固有の問題意識を薄めると懸念し、固有の課題を維持した上でのインターフェース(接続、結合)という概念を提示している(森茂, 2002)。
※この「多文化教育とグローバル教育のインターフェース」の解説は、「多文化教育」の解説の一部です。
「多文化教育とグローバル教育のインターフェース」を含む「多文化教育」の記事については、「多文化教育」の概要を参照ください。
- 多文化教育とグローバル教育のインターフェースのページへのリンク