多文化主義政策に対する影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/22 06:03 UTC 版)
「文化的モザイク」の記事における「多文化主義政策に対する影響」の解説
20世紀初頭以降、カナダは世界で最も多くの移民を受け入れてきた国家の1つとなっているが、1960年代までは移民は社会の主流への同化を期待されていた。しかし、社会が激変する時代を迎えると、ポーターの研究はカナダの社会政策に際立った影響力を行使。カナダを諸文化のモザイクとして見ることが、1960年代末以降のピエール・トルドー政権における多文化主義政策の土台となってゆく。 同政権は1969年、ケベック州の問題に端を発する英仏間の根深い対立を止揚するため、フランス語と英語双方を公用語とする公用語制定法を可決。他民族に関しても、その民族遺産の中から良いものを保持する機会を持つべきであるとの答申が、関連諮問機関から出されたのである。かくして「文化的多様性はカナダを豊かにする」という前提の下、1971年公的多文化主義法が制定され、翌年に多文化主義担当大臣が任命。1973年には国務省多文化主義局と共に、カナダ多文化主義協議会が設立されている。
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