各救難隊の主な出動
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1959年(昭和34年)9月26日 - 浜松救難航空隊は伊勢湾台風での被災者救助のために救難作業に従事する。 1963年(昭和38年)1月~3月 - 日本海側の地方を襲った昭和38年1月豪雪に各地の救難分遣隊が出動した。 1985年(昭和60年)8月12日 - 百里救難隊は、日本航空のジャンボ機墜落事故(日本航空123便墜落事故)ではいち早く現場に出動して墜落場所を特定した。しかし、要請権限を持つ東京空港事務所長が災害派遣要請を出したのは1時間40分後と遅れ、救難員の救助作業も事故機の火災や樹木による障害のため夜間の降下を断念した。 1997年(平成 9年)1月 2日 - 小松救難隊は海上保安庁よりの要請で、遭難沈没したロシア船籍ナホトカ号から乗員12名を救助。 2004年(平成16年)7月13日 - 新潟救難隊、小松救難隊が新潟集中豪雨で取り残された中ノ島保育園から園児約80名を救助。 2004年(平成16年)10月24日 - 23日に発生した新潟県中越地震へ新潟、小松救難隊、浜松救難隊が出動して、被災住民1200名以上を救出。 2007年(平成19年)3月31日 - 那覇救難隊は鹿児島県徳之島で30日夜間に発生した急患空輸のため出動して遭難した陸上自衛隊第101飛行隊の捜索救難に出動して、遭難機の発見と乗員4名の救助に当たった。救難活動中には天城岳付近で救難隊ヘリに接近して来たNHK取材ヘリとニアミスが発生している。 2008年(平成20年)6月14日 - 秋田救難隊、松島救難隊は、岩手・宮城内陸地震によるバス転落事故で谷間に転落したバスより17名の乗客を救助。 2010年(平成22年)7月25日 - 百里救難隊は、埼玉県防災航空隊の墜落事故に出動して、乗員5名および遭難者1名を救助および搬送。通常の民間機事故(軍事以外)の場合は、要請権を持つ東京空港事務所長が直ちに災害派遣要請を出すが、この事故では遭難通報から2時間15分後に埼玉県知事が災害派遣として出動要請を出した。 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震で、百里救難隊、浜松救難隊が派遣 され活動開始。一方で松島救難隊は津波により活動航空機を失ったが、隊員は百里救難隊に配置され、その後の救難活動に当たった。 2011年(平成23年)3月14日 - 地震対応で、13日、14日だけでも秋田救難隊は要救助者300人以上を救助。 2011年(平成23年)3月21日 - 東北・関東巨大地震(東日本大震災)での人命救助が新田原救難隊は約3500人 となった。 2011年(平成23年)3月25日 - 東北地方太平洋沖地震で航空自衛隊救難隊などは約1万9300人 の人命救助を行なった。 2013年(平成25年)2月21日 - 新潟救難隊、秋田救難隊は第九管区海上保安本部部長より災害派遣要請(外国船員遭難・救助活動)により、沈没して救命ボートで漂流中のカンボジア船(DONG HAI No1)乗員12名を洋上より救助した。 2014年(平成26年)9月27日 - 御嶽山噴火による遭難者の救助にのため長野県知事から陸上自衛隊へ出された災害派遣では、浜松救難隊、救難教育隊(小牧基地)が支援のため派遣され救助活動に従事した。 2015年(平成27年)3月11日 - 第九管区海上保安本部長からの要請で、石川県能登半島沖(小松基地より北西約280km付近)にて沈没寸前のカンボジア船(TONG YUAN HAI)から、派遣された小松救難隊、新潟救難隊は約20m/sの強風にも関わらず外国人乗組員14名の全員を無事に救助した。 2015年(平成27年)9月10日 - 台風18号などによる豪雨災害では、茨城県常総市の鬼怒川の堤防決壊により住民が濁流に取り残され、救助のために百里救難隊が派遣された。百里救難隊は保育園児ら18人の救助や氾濫地域の住民救助を行った。また浜松救難隊も派遣され、10日午後4時より取り残された住民の救助活動にあたり、11日までに約40人を救助した。
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