信仰の性格
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このように伊勢神宮は長い期間を通じて膨大な数の人々が参宮してきたが、その要因の一つとして、伊勢神宮が神道の最高神で天皇の祖神でもある天照大御神を祀るという性格から、「国家の総鎮守」として信仰されたことが挙げられる。古くから、伊勢信仰において神宮が「国家の総鎮守」として信仰されてきたことを示す例としては、例えば中世において、源義宗が伊勢神宮に領地を寄進するに当たって「是れ大日本国はすべて皇大神宮・豊受宮の御領たる故なり」との文言を寄進状に載せて両宮を日本全体の神と認識していることや、『吾妻鑑』に見える源頼朝の寄進状にも「公私の御祈祷のため」という文言が見えて、「私」とともに「公(=国家)」も神宮の祈願対象となっていることが挙げられる。この意識は農民層においても同様であったらしく、中世の百姓が書いた起請文に、天照大御神を称して「日本国主」「日本鎮守」と書かれたものが見つかっている。また、仏教勢力においても、重源が「天照大御神は我が朝の本主、此の国の祖宗なり」と述べたり、無住が『沙石集』の中で「我が国の仏法ひとえに大神宮のご加護によれり。当社は本朝の諸神の父母におわすなり」と述べたほか、安房国出身の日蓮は『新尼御前御返事』で「安房国東條郷辺国なれども日本国の中心のごとし。其故は天照太神跡を垂れ給へり」として安房国東郷荘に神宮御厨があることを理由に、この地は辺境であるものの日本の中心に等しいと述べている。このように、仏僧においても伊勢神宮が日本の主神であり、仏教をも伊勢神宮により鎮護されているとみなす考え方が広まっている。元寇後は、伊勢神宮が神風を起こしたと信仰され、一層国家鎮守神としての側面が強調された。室町時代中期の辞典『壒嚢鈔』には「和国は生を受くる人、大神宮へ参詣すべき事勿論…」と記されており、国家鎮守神である大神宮には国民は必ず詣るべきとする観念が広がっている。伊勢信仰が本格化する江戸時代においても、当時伊勢参宮者の間で広く流通していた市販の伊勢神宮の携帯用ガイドブックである『伊勢参宮細見大全』では、皇大神宮を、その皇室との関係性を説明した上で「天下第一の宗廟」や「日本第一の宗廟」と表現している。また、同書の「参宮大意」の項目には「内外両宮は四海太平、国家安全を守り、万民百姓はその恩恵を蒙っているのだから、その霊地を踏み、神の広前に拝して神の御恵にこたえるべき」という旨が書かれ、国家全体を守る神としての側面を強調しており、外宮の祭神については「君臣の二祖」と表現され、天皇と国民の両方にとっての祖神であると観念されている。伊勢神宮の国家神としての側面は明治時代以降に強調されたが、神宮を「国家総鎮守」とみなす信仰自体は中世以来存在するもので、伊勢信仰を支える一つの要因となった。 他方で、人々は伊勢神宮を国家の総鎮守としてだけでなく、豊作や出世、病気平癒などの、個人的な現世利益をもたらす神として信仰する側面も有していた。上述の通り、伊勢神宮は中世には私幣禁断の風潮が弱まって個人祈願が多く行われるようになっており、夢窓疎石の『夢中問答集』には神宮の神官・度会家行が「世のつね、幣帛を捧げ法楽をなすことは皆これ名利の望みを祈り奉らむがため」と参詣の人々の現状を話した記録があり、記録に残る足利将軍の神宮への祈願内容も、病気平癒や安産祈願など私的な内容である。今神明や飛神明などと称された、室町時代に盛んになる京都洛中への伊勢神宮の勧請においても、神明勧請は怨霊や悪霊の鎮魂や祓いを求めての勧請であった。江戸時代の参宮ガイドブックである『新撰 伊勢道中細見記』には「夫れ、伊勢参宮は家内安全所願成就を祈らんための参宮なり」と冒頭に記され、庶民の私的祈願を行う神宮であると記されている。農村の田植え歌においても、天照大御神を豊穣をもたらす神として歌うものが各地に残されており、五穀や豊作の神、あるいは全般的な幸福をもたらす神としても、伊勢神宮は庶民から信仰を受けていた。また、『伊勢太神宮続神異記』には障害を持った人や病の人、貧しい人などが伊勢神宮に参拝することで障害を治癒したり病を克服する霊験譚が多く集められていることからも、伊勢神宮が人々を救済する神として信仰されていたと考えられる。 また、伊勢神宮は人々からしばしば霊的な聖地としても信仰され、神宮に訪れた人は霊的な力を身につけると信仰されることもあった。腹が痛む時には伊勢参りの経験者に跨いでもらうと良いとか、伊勢参りから帰ってきた者は「御位」が上がるからと平常では使わない入り口から入ることになっているなどの風習が各地にあり、村の成人儀礼として成人となった者が伊勢参宮を行う風習が多くあったことも、少年から成人へと再生する聖域として伊勢が意識されていたことを示している。
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