信仰の形成とは? わかりやすく解説

信仰の形成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 08:53 UTC 版)

蒿里山」の記事における「信仰の形成」の解説

蒿里山鬼神の山として、泰山にあり民衆懼れられつつも信仰されてきた聖地である。 『泰山小史』の記述在りし日蒿里山伝える。 「言うに人の死するや、魂は必ず蒿里山帰する山上森羅大殿あり、三曹三人裁判官を指す)が対案する。七十五司の各神像を塑す。俗に言う地獄なり。今まで死者があると、紙を焚いて儀式此処でする。白居易の詩にいう、「東岳前後の魂、北邙の新旧の骨」と。また、『樊殿直廟記』に云う「人の生は蒿里に生命受けて、その終わりは社首に帰る、ああ、像を設けて教え為し、人に懼れ知らしめるに過ぎない。そうして、(人は)その善を図る」と。昔、呉道子唐代著名な画家)が成都地獄様相画き、見る人はみな懼れた。市場にいる肉屋や酒売りなどは皆見に行かなかった。今、此処に遊ぶ者は未だにふざけているのを和やかに楽しんでいる、命を知らないために他ならない。」『泰山小史』より 以上に記される蒿里山地獄思想について、フランス東洋史家エドゥアール・シャヴァンヌ泰山への信仰過程の中から生まれたのである、と自身著作泰山』の中で記している。シャヴァンヌ泰山のみに存する固有の信仰として生命司ることを挙げる。彼は明の嘉靖11年1532年)に世宗嗣子望んで泰山祈ったことを引用し、命の生まれ出る所とされていた例をあげ、この様生命の誕生思想また、生命帰結思想生んだとする(思想そのもの誕生後漢の頃と推定)。そして死への思想がまた長寿への思想生んだという。(7世紀もしくは8世紀よりと推定)そして、これらの泰山への信仰過程に於いて泰山の死の側面だけを特化して分離させた場所が、死者の魂の集う祠、蒿里山になったという(ちなみにシャヴァンヌ考察顧炎武の『日知録』を踏まえている)。 泰山と死の思想に関して澤田瑞穂は『中国泰山』の中で、仏教伝来初期に当たる三国より西晋代の経典には、漢訳の必要から、中国人解りやすい例えとして、「泰山地獄」、「泰山王」、「泰山の鬼」という語を使っている用例見られる指摘するまた、これが一般化し事実あるよう思われるようになり、仏教地獄説に倣って泰山地獄結び付けられる様になったという。 蒿里山行なわれていた信仰は、顧炎武や『泰山小史』のいうような道教思想基盤の上に、十王信仰入り閻羅神を祀った森羅殿や十王祀った十王殿が形成されていったのである澤田瑞穂は、何故、蒿里山冥界の府となったかについて、封禅の儀を視野入れて推測する。それは封が泰山山頂行なわれ、禅は蒿里山という丘で行なわれたことが、天と地という観念より、陰陽連想させ、更に、生と死連想させたのではないか述べている。 補足として、 『泰山小史』にはその名の所以に関する記述があり、こう記される。 「蒿里山はまさに高里山となすべし。その高里山のもとと謂うなり。漢の武帝太初元年に此に禅する。後世蒿里と訛り為して遂に鬼伯の祠となすとならん。」つまり、高里山の「高」という字が訛り蒿里山となり、その変化伴って鬼伯(=鬼神)の祠となったであろう記している。

※この「信仰の形成」の解説は、「蒿里山」の解説の一部です。
「信仰の形成」を含む「蒿里山」の記事については、「蒿里山」の概要を参照ください。

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