独自の信仰の形成のはじまり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 17:23 UTC 版)
「ジョージ・フォックス」の記事における「独自の信仰の形成のはじまり」の解説
それから数年にわたり、フォックスは特別な宗教的信仰が形作られるように、イギリス中をひたすら旅し続けた。祈りと瞑想の中で、自分の信仰の本質に関して以前より素晴らしい理解に到達した。そして、何を自分を必要としていたのかということも分かるようになった。この過程を「幕開け」と呼んだ。つまり、そのことを一連の突然起こった主題(それはその時までに既に自分自身が完全に意識するまでになっていた)の啓示という形で経験したからである。また標準的なキリスト教の理解についてその深い内面まで理解するに至った。すなわちそれは、神の創造と救済についてである。 フォックスの考えは、次のようなものであった。 キリスト者は外部に向けての実践の点でそれぞれ異なるが、全てに言えることは、信仰のゆえに「救われた」と考えていることである。ゆえに、真の魂の回心を経験しない限りは、儀式のようなものは大して重要と考えないでいられる。 聖職者に必要とされる資質は、聖なる魂によって与えられるのであり、教会での研究によって与えられるものではない。このことは、誰もが聖職者になる資格を持つことを暗に意味している。そこでは、神の精神が女性も含めた彼らを導くことが想定されている。 神は「従順な人々の心の奥深い中心に住む」のであって、宗教的経験は教会という建物によって定義されるものではない。実際、フォックスは建物としての「教会」という言葉を使うことを拒み、その代わりに「尖り屋根の家」という言葉を使った。この用語は、現在でも多くのクエーカーが使い続けている。フォックスは野原や果樹園などで礼拝をすることを好み、神の存在はそういう自然な世界の中でもまた感じられると信じていた。 フォックスは一般と違う信仰のゆえに主要な教会とのつながりを断ち切った人々のグループである非国教徒の中である経験をした。非国教徒が教会こそ作らなくとも霊的な理解を手助けしてくれることをずっと望んでいた。だが、実際にはそうは行かなかった。例えば、女性が一人前の人間としての魂を持っていると主張したため、あるグループと対立した。このことは、旅行記の次のような有名な一節で述べられている。 しかし、私はその聖職者たちを許していたので、分派の聖職者たちからも、最も経験豊かな人々が尊敬する説教師たちからも去った。なぜなら、その中には私の状態を説明できるような人物は誰一人としていなかったからである。そして、この人たちに抱いた希望の全てが絶望に終わった時、私を助けてくれる人は表向きには存在しないし、誰かが私にどうしろと命令することもできないのだと知った。だがその時、ああ、私は次のような声を聞いたのだ。「一人だけいる。それはイエス・キリストだ。汝の状態を説明できるのはその方しかいない」という声を。私はそれを聞いた時、喜びで胸を躍らせた。そして、主は私になぜこの世には私の状態を説明できる人がいないのかを、そして、私が主に全ての栄光をお預けするのだということを悟らせてくださった。全ての者は原罪を持ち、道を示し恩寵と信仰と力を与えてくれるイエスキリストには卓越したものがあるかも知れないとは、これまでの私同様に信じてはいない。それ故にいつ神は動き誰がそれを妨げるのか、私は経験を通じて経験的に知っている。QFP §19.02
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