使節団一覧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 07:59 UTC 版)
「薩摩藩第一次英国留学生」の記事における「使節団一覧」の解説
薩藩海軍史にある名簿から本名(先頭のもの。その他は別名)、年齢、出国時の仮名/変名)、及びその他は以下の通り。海外渡航が禁じられていた時代であったため、家族に害が及ぶことを恐れて別名を使った。 本名別名年齢出国時の変名備考町田民部 町田久成 28 上野良太郎 一所持、日置郡石谷村領主、大目付。2年間の滞在ののち、英国から1867年夏に留学生の一部、及び中井弘、野村盛秀らと帰国後、外務省、内務省で重職を務め、帝国博物館初代館長。 町田猛彦 なし 21 山本幾馬 町田久成の弟。羽島滞在中に自殺したといわれている。 町田申四郎 実積、小松清緝 19 塩田権之丞 町田久成の弟 町田清蔵 財部実行 15 清水兼次郎 町田久成弟、「財部実行回顧談」著者。 畠山丈之助 畠山義成 23 杉浦弘蔵 一所持格、当番頭。英国に2年間滞在したのち1867年夏にアメリカに転学、岩倉使節団に参加。アメリカに計6年滞在したのち帰国し、開成学校校長、東京書籍館長、博物館長。 鮫島尚信 清蔵、誠蔵 23 野田伸平 1866年夏に渡米しハリスと面会。1867年夏に英国からアメリカ転学出後、ハリスの助言により森有礼と共に1868年8月帰国、英仏代理公使。 磯永彦助 長沢鼎 14 長沢鼎 1867年夏に英国からアメリカ転学、後にカリフォルニアのワイン作りに貢献。生涯アメリカで暮らす。 森金之丞 森有礼 21 沢井鉄馬 1866年6-8月ロシア視察(『航魯紀行』)。1867年夏に英国からアメリカ転出し1年滞在後、ハリスの助言により鮫島尚信と共に1868年8月帰国、米国代理公使、明六会社長、中国大使、初代文部大臣。 市来勘十郎 松村淳蔵 24 松村和彦 1866年6-8月ロシア視察。1867年夏に英国からアメリカ転学後、米国海軍士官学校日本人留学生第一号。 吉田已次 吉田清成 20 永井五百助五百助ジョン・ウェスリー永井 1866年夏に渡米しハリスと面会。1867年夏に英国からアメリカ転学後、上野景範に随いて英国へ転出、帰国後大蔵省少輔として岩倉使節に後発合流、米国大使。 村橋直衛 村橋久成 23 橋直輔 寄合並、御小姓組番頭。1年で帰国。サッポロビール前身の開拓使麦酒醸造所開設に関わる。 松元誠一 高見弥市 34 大石団蔵安藤勇之助 土佐藩出身、土佐勤王党。「旧造士館回想録」著者。造士館の数学教師となる。 東郷愛之進 なし 21 岩屋虎之助 戊辰戦争で死去。 名越平馬 時成 19 三笠政之介 名越左源太の息子。 田中静洲 朝倉盛明 24 朝倉省吾 英国からフランスへ転学。のちに日本初の政府直轄鉱山生野銀山の鉱山長を務める。 中村宗見 中村博愛 24 吉野清左衛門 英国からフランスへ転学。のちにマルセイユ領事、デンマーク公使、元老院議官、勅選貴族院議員となる。 新納刑部 新納久脩 34 石垣鋭之助 一所持、伊佐郡大口領主、家老。引率者。 松木弘庵 寺島陶蔵、寺島宗則 23 出水泉蔵 案内役として参加。1866年春に帰国。帰国後、外務卿、文部卿、参議。 五代才助 五代友厚 29 関研蔵 案内役として参加。1865年末に帰国。帰国後、大阪税関長などを経て実業界へ。 堀宗次郎 堀孝之、壮十郎 21 高木征二 長崎出身通訳。
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