使節団の構成
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使節の少年たちは有馬晴信が日野江城下に建てたセミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれた。使節4名の正確な生年月日は不明だが、派遣当時の年齢は13 - 14歳であった。中浦ジュリアンが最年長、原マルティノが最年少と言われる。 使節伊東マンショ(主席正使) - 大友義鎮(宗麟)の名代。宗麟の血縁。日向国主伊東義祐の孫。後年、司祭に叙階される。1612年長崎で死去。 千々石ミゲル(正使) - 大村純忠の名代。純忠の甥で有馬晴信の従兄弟。後に棄教。 中浦ジュリアン(副使) - 後年、司祭に叙階。1633年、長崎で穴吊るしの刑によって殉教。2007年に福者に列せられる。 原マルチノ(副使) - 後年、司祭に叙階。1629年、追放先のマカオで死去。 随員ジョルジェ・ロヨラ修道士 - 使節の教育係、日本人 コンスタンチノ・ドラード - 印刷技術習得要員、日本人少年 アグスチーノ - 印刷技術習得要員、日本人少年 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父 - ローマへ随行するつもりだったが、職務によってゴアにとどまる。 ヌーノ・ロドリゲス神父 - ヴァリニャーノの後を継いで一行に従う。 ディオゴ・メスキータ神父 - 通訳、イエズス会員 ロレンソ・メシア神父 オリヴィエーロ修道士
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