使節の選定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/02 04:06 UTC 版)
「フェルナン・ピレス・デ・アンドラーデ」の記事における「使節の選定」の解説
1515年に、アンドラーデはリスボンに帰国していた。1517年6月17日、彼はマヌエル1世の命を受け、ムスリムの通訳と大砲を積んだ7隻の武装商船団を率いて再びアジアに向け出航した。この任務の総責任者にアンドラーデが選ばれたのは、彼自身が薬学者であり、中国医学の知識をヨーロッパに持ち帰ることを期待されたためであった。また、インドで中国貿易に関する報告書を書いたフィレンツェ商人ジョヴァンニ・ダ・エンポリや、王家のアポセカリーでインドにわたり、1515年に同じくインドでアジアの貿易に関するランドマーク的な書物を著したトメ・ピレスも通商使節の責任者に選ばれた。なお、ダンポリは同年10月15日に乗船で起きた失火事故により死亡した。
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