他駅への波及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:14 UTC 版)
庄内駅での騒ぎは収束したが、梅田駅では、9時以降からバスや警察車両で到着した乗客に遅延証明書を発行する業務に追われた。運転再開後は梅田駅に到着した電車から降りた乗客が一度に殺到したことから、遅延証明書の発行業務はピークに達し、併せて浴びせられる苦情などで駅員が手をつけられないほど大混乱したが、曾根崎警察署から警察官30数名が駆けつけて整理に当たり、次第に混乱は収拾した。しかし、それでも怒りが収まらない乗客約200名が、正午ごろから梅田駅事務室に詰めかけて神戸線との格差をはじめ日頃の不満をぶつけた。阪急側では急遽運輸部長が出て釈明に当たったが、乗客は数時間にわたって抗議行動を繰り広げ、夕方ラッシュ時に及びそうになったことから、阪急側からこれらの乗客に対して昼・夕食費の名目で一人当たり1,000円を渡したことで、ようやく引き揚げた。また、曽根駅においても一部の乗客が連絡の不手際に怒って座り込みを行ったが、運転再開後の11時過ぎに座り込みを解除した。
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他駅への波及
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 04:43 UTC 版)
上野駅では21時前、発車しない電車にしびれを切らした乗客が高崎線籠原行列車への投石を始め、高崎、東北両線電車の運転士を電車から引き摺り下ろして連行した。7番線ホームでは乗客3,000人が発炎筒を炊いて窓ガラスを割り始めた。この騒ぎをきっかけに騒乱状態となり駅機能が麻痺し、21時には警察が到着したものの手が付けられる状態ではなくなっていた。暴徒は本屋改札事務室や切符売り場も破壊し始め、職員は身の危険を感じて職務放棄をしてしまい駅は無人状態となった。その後も破壊行為は続き、0時20分頃にはコンコースで放火騒ぎが起きる事態となった。動かない列車の案内板を集めて放火された火に投げ込むといった行為も見られた。 新宿駅では上野駅での騒乱発生を受けて21時10分ごろより騒ぎが起こり始め、21時30分頃山手線の運行を停止、地下鉄私鉄各線への振替輸送の案内を放送したところ利用客が駅長事務室に押し掛ける騒ぎとなった。22時頃には西口の料金精算所や売店などが襲われ、東口では鉄道公安室に放火する騒ぎに発展。翌4月25日7時頃まで騒乱は続いた。新宿駅での暴動参加者は最大時には20,000人に達した。同駅の一連の騒擾と顛末は1984年に発行された『新宿駅90年のあゆみ』にも述べられているが、駅職員たちは職場から逃げ出さず、収拾に懸命で後に感謝状を出されたという。 この他、渋谷駅・秋葉原駅・有楽町駅等の計38駅で破壊・放火などの暴動事件が同時的に多発した。群衆の数は総計で32,000人を超えたとされている。一部の暴徒の中には切符・現金・売店の商品を略奪する者も現れ、被害は現金だけで1千万円を超えたとされる。また、池袋駅では群集同士の喧嘩、神田駅ではタクシーに投石をすると言った騒ぎも発生した。新橋駅では駅施設破壊によると思われるガス漏れも発生している。 これに対し警視庁では22時頃、機動隊の最大動員を指令し投石などの破壊行為の阻止と、駅員・車両の保護を指令するとともに各駅長に対して駅員の現場待機を要請した。さらに23時30分頃には事件の拡大防止と列車運行確保、悪質者に対する逮捕・検挙の方針を全警察官に指令。さらに私鉄各社に電車・バスの臨時運行と終電延長を要請した。しかし同時多発した騒乱には有効な手が打てず、また群衆に恐れをなした駅員が逃げ出す事例が相次ぎ、混乱を収拾させることはできなかった。 国労は21時30分、東京地本の遵法闘争を中止し、動労も混乱を緊急整備するまでは当局に協力することとした。25日以降は東京以外の地区で闘争を継続した。しかし、21時45分頃には赤羽線・京浜東北線・山手線・東北線・高崎線・常磐線(常磐線各駅停車含む)がすでに運行を停止しており、完全に手遅れであった。 多数の鉄道車両・施設が破壊された影響は大きく、首都圏では翌4月25日午前10時頃まで列車運行が全面停止。その後も大幅な間引き運転を強いられる事態となった。
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