中間判決後の争点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:16 UTC 版)
「千日デパートビル火災民事訴訟」の記事における「中間判決後の争点」の解説
「中間判決」で原告(松和会)に対する被告(日本ドリーム観光)の賠償責任が認められたことにより、以降の争点は賠償額と補償範囲を具体的に決めることに移っていった。原告は、被告の保安管理契約と債務不履行による責任があったことを明確にするため、損害額と損害範囲を最小に抑えていた。被告の賠償責任が明らかになったことで原告は、賠償額と範囲を大幅に増やし、20億円以上に引き上げた。副資材や慰謝料の請求に加え、会員全店の1か月あたりの休業損害合計3,346万6,801円の支払いも求めることにした。原告弁護団は、すべての松和会会員の損害額を立証するために約1年間を費やした。休業損害を被告に請求した意味は、原告の主張では千日デパートの賃借権は消滅しておらず、営業できなくなって休業損害が出ているのは、被告の責任であるから損害を賠償すべきというものであった。争点の中でも最も激しい攻防になったのは、同デパートの賃借権が存在するのか、消滅したのか、以上の点についてである。被告側は内容証明郵便で展開した「滅失論(ビルが火災によって損傷し、経済的および物理的に失われたという論理)」を持ち出して賃借権消滅と新ビル建設の正当性を主張した。 被告が主張する「物理的滅失論」は、「建設省建築研究所」に被告同社がデパートビルの耐力診断を委託した際の結果を基にしていた。被告は1972年7月8日にデパートビルの耐久診断を同研究所に委託し、約2か月半で報告書が提出された。建設省建築研究所作成の「千日デパートビル耐力診断受託試験研究報告書(以下、「建研報告書」と記す)」によると、診断結果は以下のとおりであった。 (要約)デパートビルは5月13日に発生した火災によって2階から6階までが約800度の火災荷重を受け、鉄骨や鉄筋コンクリートが火害を受けた。建物を再使用する場合には、床スラブや梁、柱のコンクリートをはつり落とし、新たにコンクリートを打ち直す、1階ないし4階に耐震壁を増設する、外壁タイルを貼り変えるなどの補強か補修が必要である。当該ビルの改修は可能だが、建物の主要部分は年数が経っており、コンクリートの中性化や鋼材の発錆が進んでいて、改修しても画期的な効果は期待できない —千日デパートビル耐力診断 受託試験報告書(建研報告書)、現場に神宿る2006 つまり「デパートビルの改修や補修は難しく、建て直すのが効果的である」という診断結果だった。「建研報告書」は、テナント経営者に対して日本ドリーム観光から内容証明郵便が送られ、一方的に賃貸契約解除を通告した根拠の基になったものである。「建設省建築研究所」は国立の研究機関として最高の権威を持っており、その報告書の内容もまた絶対的なものであり、これに異を唱えることは難しいとされた。被告の「滅失論」による新ビルへの建て替えと賃貸借権消滅の主張は「建研報告書」を根拠にしていることから、それを覆さない限り原告に勝ち目はなかった。 原告側弁護団は、「建研報告書」の難解で専門的な内容を解読するために独自に担当弁護士が勉強したり、建築専門家の協力を仰いだりした。その中で「コンクリート中性化」の問題が「物理的滅失論」の主要な根拠になっていると判断できたことから、原告弁護団は1976年(昭和51年)2月16日、「建研報告書のデータは誤りで、記載内容は信用し得ないことを立証する」として、コンクリートの中性化判定試験と強度を調べるための現場検証を大阪地裁に申し出た。そして同年3月16日に裁判官3名、裁判所関係者、原告被告双方の証人、代理人の立会のもと、火災現場で検証試験が実施された。柱の鉄筋を露出させたあとにコンクリートに対してフェノールフタレイン溶液を塗布して水素イオン指数(pH)を調べたところ「赤色」に変化したことから、コンクリートはアルカリ性であることが判明し、中性化していないことが確認された。この検証試験により、デパートビルの耐用年数は補修すれば以後160年は使用できると結論が導き出され、「建研報告書」記載のコンクリート中性化関連のデータに誤りがあることが示された。 検証実験を終えた原告は、次に「建研報告書」の信憑性を問うために報告書作成に携わった人物に対して証人尋問を要求した。被告側からの資料提出がおこなわれ、証人申請が出されたところで裁判所は被告に対して「経済的滅失」について口頭弁論で立証するように促した。千日デパートビルの「物理的滅失」について当否を争っている最中の「経済的滅失」の立証は、すなわち裁判所が原告側に対して和解を勧告したも同然だと解釈された。この直後に裁判所は「原告は千日デパートビルの改築(解体)に同意し、新ビル入居の条件を被告と話し合え」と和解を勧告した。 1976年8月27日、旧復興対策委員会メンバーだったテナント団体と日本ドリーム観光との賃借権確認訴訟で和解が成立した。その和解内容は、「千日デパートビルを取り壊し、その敷地(跡地)に新ビルを建設することに双方が協力する。4年3か月後(1979年12月)を目標に現状打開に努力し、テナントも協力する。新ビルが完成すれば賃貸し、入店権の譲渡を認める。賃料には優遇措置を講じる」とした。これにより訴訟を係属している松和会と、被告との和解に応じた旧復興委メンバーおよび既にビルの建て替えに同意していた新千日テナント会メンバーとの間で対立が起こった。いわば既存の賃借権保証を訴える「旧ビル改装派」と、被告に全面協力する「新ビル新築派」の対立という構図である。新築派は、改装派の松和会に対して趣意書を送付し「千日デパート再建促進協議会」を発足させ、協議会への出席を促した。協議会は「デパートビルの早期再建に賛同せよ」という趣旨だったが、松和会は趣意書への回答で「デパートビル再建の問題に反対するものではなく、あくまでも賃借権の存続とテナントの権利を守ることを考えて被告と争っている」旨を主張した。
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