世界の男声合唱史
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男声合唱の歴史はクラシック音楽に限定しても長い。新約聖書にある「コリントの信徒への手紙一」には、「婦人は教会では黙っていなければならない」 (14-34) と書かれており、そのため、教会音楽は近代に至るまで、もっぱら男性のみによって担われてきた。今日、グレゴリオ聖歌の録音が男声合唱によって行われることが多いのは、その影響と言えるだろう。高声部は、少年やカウンターテナー、カストラートによって代用された(こうした合唱曲は、現在では女性を加えた混声合唱団によって演奏されることも多い)。19世紀には、教会音楽への女性の参加が一般的になりつつあったが、男声合唱はこの世紀に、世俗音楽の分野を中心として黄金期を迎えることとなる。 19世紀はじめになってドイツにリーダーターフェル、南ドイツやスイスにリーダークランツ、フランスにオルフェオンが相次いで生まれ、それらによる男声合唱運動が、北欧、東欧やアメリカへと波及していく。この頃に活躍した作曲家の多くが、男声合唱団のために指揮や作曲を行った。 ブルックナーを例にとると、彼は1843年にハンス・シュレーガーという人物の男声合唱曲に感動し、自ら男声四重唱団を組織して以来、男声合唱団で歌い、時には指揮し、時には団のために作曲し、実に半世紀もの間をこのジャンルに捧げた。彼の最初の出版作品も最後の完成作品も、いずれも男声合唱曲である。 シベリウスもまた、男声合唱団のために数十曲の作品を残し、その多くを初演したヘルシンキ大学合唱団とともに、フィンランドの合唱界のみならず音楽界全体に大きな足跡を残している(ヘルシンキ大学合唱団は今日、世界的に著名な合唱団の1つと位置づけられ、日本も含め諸外国で公演を頻繁に行っている)。この他、グノーはパリのオルフェオンの音楽監督を1852年から1860年まで勤め上げているし、ワーグナーは、短期間ながらもドレスデンのリーダーターフェルの指揮者に就任している。 なお、今日多くの男声合唱団に愛されているシューベルトについては、合唱運動が本格的に勃興する前に亡くなっているため、彼が直接運動に携わったというわけではない。しかしながら、運動の高まりとともに、ドイツ圏においてはシューベルトが高く評価され、重唱曲として初演された数多くの作品が合唱団にとりあげられた。 一方、イギリスは、ドイツやフランスとは別の道をたどった。17世紀に生まれたキャッチや、18世紀後半以降に活発化したグリー(英語版)と呼ばれるジャンルがもてはやされていたからである。サミュエル・ピープスの日記の中にも、彼がキャッチを歌ったという記述が見られる。また、ハイドンはこれらのジャンルのために「12のキャッチとグリー」を編んでいる。 イギリスの男声合唱を語る場合に指摘されるべきもう一つの点は、この国で生まれた世界的な団体であるフリーメイソンとの関わりであろう。この団体は原則的に男性のみによって運営されており、各種の儀式やイベントで歌が必要な場合、当然男声合唱や独唱曲が作られたのである。フリーメイソンに所属していた作曲家に、トマス・アーン、ベンジャミン・クック、サミュエル・ウェッブなどがいる。ここで列挙した3人はみなグリーの作曲家でもある。この団体に関する男声合唱曲のほとんどは今日忘れられているが、モーツァルトが入会後に作曲した男声合唱曲は、現在でもCDや楽譜で参照することが可能である。キャッチはグリーの普及とともに衰え、グリーもまた19世紀後半には衰退し、現在ではあまり顧みられていないが、「グリークラブ」という名称は、日本やアメリカの男声合唱団に好んで用いられている。 また、19世紀後半のアメリカでは、男が床屋に集まって無伴奏のカルテットを楽しむのが流行し「バーバーショップ・ハーモニー」と呼ばれる独自のスタイルを築いた。バーバーショップスタイルのアンサンブルは近年、日本でも盛んになっている(女声や混声によるバーバーショップアンサンブルも少数ながら存在するが、男声が中心)。 中央ヨーロッパで黄金時代を迎えた男声合唱は、合唱運動の衰退や、混声・女声合唱の勃興などにより20世紀になると衰えていく。リヒャルト・シュトラウスがドイツの男声合唱団について、「ほとんど考慮するに値しない」「その芸術的な収穫はごくわずか」と書き、皆川達夫がオルフェオンの衰退の原因について、彼らの演奏する曲が「〈お素人向きのお手軽な音楽〉」に堕したことをほのめかしているように、男声合唱団や男声合唱曲の質の低さも指摘されていた。 この世紀は北欧、東欧やアメリカ、日本にとっての黄金期といってよいだろう。ハンガリーにはこの地の合唱の基礎を築いたバルトークやコダーイなど、北欧には前述のシベリウスやマデトヤ、アルヴェーンらがいたし、アメリカではロバート・ショウなどが編曲の分野で活躍した(日本については後述)。 男声合唱運動の中心から遠く離れたロシアにおいて、正教会の聖歌は19世紀に到るまで依然男性によって担われていた(ロシアの教会音楽に混声合唱が取り入れられるようになったのはアルハンゲルスキーの功績である)。現代でもギリシャ正教会(ギリシャ共和国内の正教会)では男声が正教会聖歌の基本である。こうした正教会の聖歌伝統もソビエト連邦が誕生すると正教会聖歌をはじめとして宗教音楽は弾圧される中で大幅に制限され、かわりに民謡の編曲や愛国的な讃歌、世俗的な内容の合唱曲が求められるようになった。ソ連の軍人で構成された赤軍合唱団はこうした作品を演奏し、世界的な知名度を得ることに成功している。なお、ソビエト連邦の崩壊後には聖歌ジャンルも復興を遂げ、現代のロシア正教会の各地の男子修道院は多くの聖歌CDを録音するに至っている。 現在では、クラシックの他の分野と同様、男声合唱もまた世界のいたるところに普及し、各地の作曲家によって毎年たくさんの作品が生まれている。音楽史から見れば、19世紀の合唱運動ほどの力を今日の男声合唱界は持っていないが、他のジャンルもそうであるように、この分野もクラシック界の流行と無縁ではない。近年ブームとなったグレゴリオ聖歌から、民謡、ゴスペル、ポピュラー音楽まで幅広く手がけるアメリカの男声アンサンブルシャンティクリアは、癒しブームにも支えられ、高い支持を受けている。
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