世界の男声合唱史とは? わかりやすく解説

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世界の男声合唱史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 06:34 UTC 版)

男声合唱」の記事における「世界の男声合唱史」の解説

男声合唱歴史クラシック音楽限定して長い新約聖書にある「コリントの信徒への手紙一」には、「婦人教会では黙ってなければならない」 (14-34) と書かれており、そのため、教会音楽近代に至るまで、もっぱら男性のみによって担われてきた。今日グレゴリオ聖歌録音男声合唱によって行われることが多いのは、その影響と言えるだろう。高声部は、少年カウンターテナーカストラートによって代用された(こうした合唱曲は、現在では女性加えた混声合唱団によって演奏されることも多い)。19世紀には、教会音楽への女性の参加一般的になりつつあったが、男声合唱この世紀に、世俗音楽分野中心として黄金期迎えることとなる。 19世紀はじめになってドイツにリーダーターフェル、南ドイツスイスにリーダークランツ、フランスにオルフェオンが相次いで生まれ、それらによる男声合唱運動が、北欧東欧アメリカへと波及していく。この頃活躍した作曲家多くが、男声合唱団のために指揮作曲行ったブルックナーを例にとると、彼は1843年にハンス・シュレーガーという人物の男声合唱曲に感動し、自ら男声四重唱団を組織して以来男声合唱団歌い時には指揮し時には団のために作曲し、実に半世紀もの間をこのジャンル捧げた彼の最初の出版作品最後完成作品も、いずれも男声合唱曲である。 シベリウスまた、男声合唱団のために数十曲の作品残し、その多く初演したヘルシンキ大学合唱団とともにフィンランド合唱のみならず音楽界全体大きな足跡残している(ヘルシンキ大学合唱団今日世界的に著名な合唱団1つ位置づけられ、日本含め諸外国公演頻繁に行っている)。この他グノーパリのオルフェオンの音楽監督1852年から1860年まで勤め上げているし、ワーグナーは、短期間ながらもドレスデンのリーダーターフェルの指揮者就任している。 なお、今日多く男声合唱団愛されているシューベルトについては、合唱運動本格的に勃興する前に亡くなっているため、彼が直接運動携わったというわけではない。しかしながら運動の高まりとともにドイツ圏においてはシューベルト高く評価され重唱曲として初演され数多く作品合唱団とりあげられた。 一方イギリスは、ドイツフランスとは別の道をたどった17世紀生まれたキャッチや、18世紀後半以降活発化したグリー英語版)と呼ばれるジャンルもてはやされていたからである。サミュエル・ピープス日記中にも、彼がキャッチ歌ったという記述見られるまた、ハイドンはこれらのジャンルのために「12キャッチグリー」を編んでいる。 イギリス男声合唱を語る場合指摘されるべきもう一つの点は、この国で生まれた世界的な団体であるフリーメイソンとの関わりであろう。この団体原則的に男性のみによって運営されており、各種儀式イベントで歌が必要な場合、当然男声合唱独唱曲作られのであるフリーメイソン所属していた作曲家に、トマス・アーン、ベンジャミン・クック、サミュエル・ウェッブなどがいる。ここで列挙した3人はみなグリー作曲家でもある。この団体に関する男声合唱曲のほとんどは今日忘れられているが、モーツァルト入会後に作曲した男声合唱曲は、現在でもCD楽譜参照することが可能である。キャッチグリー普及とともに衰えグリーもまた19世紀後半には衰退し、現在ではあまり顧みられていないが、「グリークラブ」という名称は、日本アメリカ男声合唱団好んで用いられている。 また、19世紀後半アメリカでは、男が床屋集まって無伴奏カルテットを楽しむのが流行し「バーバーショップ・ハーモニー」と呼ばれる独自のスタイル築いた。バーバーショップスタイルのアンサンブル近年日本でも盛んになっている(女声混声によるバーバーショップアンサンブルも少数ながら存在するが、男声中心)。 中央ヨーロッパで黄金時代迎えた男声合唱は、合唱運動の衰退や、混声女声合唱勃興などにより20世紀になると衰えていく。リヒャルト・シュトラウスドイツ男声合唱団について、「ほとんど考慮する値しない」「その芸術的な収穫ごくわずかと書き皆川達夫がオルフェオンの衰退の原因について、彼らの演奏する曲が「〈お素人向きお手軽音楽〉」に堕したことをほのめかしているように、男声合唱団男声合唱曲の質の低さ指摘されていた。 この世紀は北欧東欧アメリカ日本にとっての黄金期といっていだろうハンガリーにはこの地の合唱基礎築いたバルトークコダーイなど、北欧には前述シベリウスマデトヤ、アルヴェーンらがいたし、アメリカではロバート・ショウなどが編曲分野活躍した日本について後述)。 男声合唱運動の中心から遠く離れたロシアにおいて、正教会聖歌19世紀到るまで依然男性によって担われていた(ロシア教会音楽混声合唱取り入れられるようになったのはアルハンゲルスキー功績である)。現代でもギリシャ正教会ギリシャ共和国内の正教会)では男声正教会聖歌基本である。こうした正教会聖歌伝統ソビエト連邦誕生する正教会聖歌はじめとして宗教音楽弾圧される中で大幅に制限されかわりに民謡編曲愛国的な讃歌世俗的な内容合唱曲求められるようになったソ連軍人構成され赤軍合唱団はこうした作品演奏し世界的な知名度を得ることに成功している。なお、ソビエト連邦の崩壊後には聖歌ジャンル復興遂げ現代のロシア正教会各地男子修道院多く聖歌CD録音する至っている。 現在では、クラシックの他の分野と同様、男声合唱もまた世界いたるところ普及し各地作曲家によって毎年たくさんの作品生まれている。音楽史から見れば19世紀合唱運動ほどの力を今日男声合唱界は持っていないが、他のジャンルもそうであるように、この分野もクラシック界流行無縁ではない。近年ブームとなったグレゴリオ聖歌から、民謡ゴスペルポピュラー音楽まで幅広く手がけるアメリカ男声アンサンブルシャンティクリアは、癒しブームにも支えられ、高い支持受けている。

※この「世界の男声合唱史」の解説は、「男声合唱」の解説の一部です。
「世界の男声合唱史」を含む「男声合唱」の記事については、「男声合唱」の概要を参照ください。

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