フリーメイソンとの関わり
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「マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1738-1789)」の記事における「フリーメイソンとの関わり」の解説
父帝フランツ・シュテファンがフリーメイソンであったため、マリア・アンナも愛する父の影響を受けフリーメイソンに対して深い好意を持っていた。ウィーン時代、マリア・アンナはウィーンにおけるフリーメイソン活動の中心人物である鉱物学者イグナーツ・フォン・ボルンとともに自然史の編纂を行うと同時に、ボルンの研究に対して投資をした。また、彼女はフリーメイソンのウィーン支部にも沢山の贈答を行った。 クラーゲンフルト転居後、1783年にボルンの肝煎りでクラーゲンフルトにフリーメイソン支部が設立されると、支部にはマリア・アンナの名が冠された。彼女はフリーメイソンの良きパトロンとして振る舞い、会員の妻たちのための夜会を定期的に開催した。 こうした文化人との交流が、マリア・アンナに遺跡の発掘と保護への意欲を芽生えさせ、1783年に開始されたツォルフェルト平野の発掘調査に彼女は3万グルデンの投資をし、古代ローマ時代のヴィルヌーム(ドイツ語版)遺跡が発掘された。
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