フランシス・ダッシュウッドと地獄の火クラブ
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「セレマ」の記事における「フランシス・ダッシュウッドと地獄の火クラブ」の解説
フランシス・ダッシュウッド は、メドメンハムの僧侶達と呼ばれたグループを作ったとき、 (地獄の火クラブとして良く知られる) ラブレーの考え方のいくつかをフランス語で適用した。僧院はメドメンハムに建設され、ブリタニカ百科事典第11版に下記のように記載された。 マーローのテムズ川上流にあるメドメンハムに、1201年に建てられた点在する居住施設のあるシトー会修道院があり、そこは、18世紀中頃に創設者の聖フランシス・ダッシュウッド(1708-1781:後にラ・ディスペンサー卿となる)から名前を取ったフランシアンと呼ばれる社交クラブの集会所として悪評となった。そのクラブは地獄の火クラブとしてもしられ、ジョン・ウィルクス、バブ・ドディントン他政治的に悪評高いメンバーがいた。そのクラブのモットーは、fay Ce que voudras(汝の意志することを行え)であり、ラブレーのガルガンチュア物語に出てくるテレームの僧院を真似て修道院の入り口に刻まれた。 ダッシュウッドの地獄の火クラブが何をしていたのか、何を信じていたのかを証明するものはほとんどない。1つの直接的な証拠となるものは、内輪のサークルの支部を一度も訪れたことがない団員のジョン・ウィルクスによるものだけである。彼は、その起源を下記のように表現した。 お偉方、愉快な男達、幸せなビーナスとバッカスの信奉者達、といった人々はワインで女を祝い、宴を盛り上げる為に時々集まり、彼らは古代からのすべての贅沢な考えを引っ張り出し、古典贅沢品の伝統で彼ら自身の新しい快楽を深めた。 そのグループは、ドアに掲げた碑文というよりも、よりラブレーに由来していて、タワーズ中佐の意見では、「私の洞窟の印象はこんな風に言える。彼らはダッシュウッドのラブレーの関連した章の朗読に基づき、ディオニュソスの予言的な寺院として使っていた。」と書かれている 。 ナサニエル・ラクソール卿 は、Historical Memoires (1815)の中で、悪魔的儀式を行っている僧侶達と非難したが、それらの訴えは噂話として却下された。 ジェラルド・ガードナーとマイク・ハワードらは、僧侶達は「女神」を奉っていると言った。ダニエル・ウィレンズは、そのグループはフリーメイソンの儀式のような物をしていると論じたが、同時に彼は、ダッシュウッドはローマ・カトリック教会の秘伝の秘跡を行っていたようだとも言っている。ウィレンズは、ウィルクスに、もし彼が見たことがあるとしても、仮にその地下組織の様式がその公共の形を正確に踏襲していたとしても、それが正式なカトリックのミサだったのかどうか尋ねた。ブリティッシュ・コロンビアとユーコンのグランドロッジは、フリーメイソンとの関わりを最小限に抑えた。
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