フランシス・タンブルティ
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「切り裂きジャックと疑われた者たち」の記事における「フランシス・タンブルティ」の解説
詳細は「フランシス・タンブルティ(英語版)」を参照 フランシス・タンブルティ(Francis Tumblety、1833年頃 - 1903年)はアメリカとカナダにおいて「インディアン・ハーブ」で多少の稼ぎがあった医者。一般にはミソジニストでヤブ医者と見なされていた。彼はある患者の死に関連しているが、起訴は免れている。1865年にはエイブラハム・リンカーン暗殺事件に加担したとして逮捕されているが、これも証拠不十分によって釈放されている。タンブルティは、1888年にイギリスに滞在していたが、11月7日に逮捕された。これは当時違法であった同性愛行為に関与していたためとされる。この頃、彼は「あらゆる社会階級の女性」の「マトリクス(子宮)」を集めて見せていたと、何人かの友人が報告している。この裁判を受けず、まずフランス、そしてアメリカへと逃亡した。その自己顕示欲と前科で悪名が轟いていたアメリカでは、彼の逮捕のニュースは、切り裂きジャック事件の関連だと報じられていた。またアメリカの報道ではスコットランドヤードがアメリカに彼の身柄を引き渡そうとしていたというが、イギリスのマスコミやロンドンの警察ではそうした情報は確認できず、ニューヨーク市警は「ホワイトチャペル殺人事件に彼が関与していた証拠はなく、ロンドンで保釈された罪状は身柄引き渡しの対象にはならない」と発表していた。1913年に警視庁のジョン・リトルチャイルド主任警部が、ジャーナリストで作家のジョージ・R・シムズに宛てた手紙の中で、容疑者としてタンブルティに言及している。
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