フリーメイソンの広がり
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「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「フリーメイソンの広がり」の解説
「フリーメイソン」も参照 教派や国籍を超えた友愛団体として知られるフリーメイソンは宗教的寛容と政治的中立を大原則としている。フリーメイソンの起源には諸説あるが、もともとは城塞や教会の建築にたずさわった「自由な石工」の集団だといわれている。16世紀以降、イギリスではフリーメイソンの会所(ロッジ)では石工とは無関係な人々の入会も認められたといわれているが、この結社が大発展を遂げたのは1717年6月にロンドン市内の会所4つが合同集会を開いてロンドン大会所(グランドロッジ・オブ・イングランド(英語版))を結成したことに起因する。ロンドン大会所の結成にスコットランド長老教会牧師のジェームズ・アンダーソン(英語版)とフランス生まれのユグノー亡命者ジャン=テオフィル・デザギュリエが深くかかわっていることも察せられるように、異教派共存を求めるプロテスタント諸派の融和の精神と重なり合う部分が大きく、他のヨーロッパ諸国へも急速に広がっていった。フランスには1720年代に伝わり、当初はフランス政府も禁止したが親王たちまでメンバーとなり、やがて黙認されるようになった。 1723年、ジェームズ・アンダーソン牧師は「フリーメイソン憲章」を編纂しているが、ここでは宗教多元性が受け入れられており、フリーメイソン会員は「愚かな無神論者でもないし、無宗教の自由思想家でもない」と謳われ、「善良で忠実」でありさえすれば各人が自由に独自の信条をもってもよいと規定した。1738年のフリーメイソン憲章では、造物主としての神の存在を信じること以上の信仰は求めないとされた。ローマ教皇は、この結社の理神論的な性格と秘儀の義務が反カトリック的であるとして、1738年と1751年の2回にわたってフリーメイソンに加入したカトリック教徒を破門する旨の教書を発した。しかし、カトリックの国々においてもフリーメイソンの広がりを押しとどめることを防ぐことはできなかった。パリにはいくつもの支部が結成され、会合では人類の幸福実現の方法をめぐって議論がなされた。ナント勅令の廃止以後、公共生活から完全に締め出されてしまったユグノーにとっては、フリーメイソン会所は自身の社会性を回復して教派的差別を乗り越える社交空間を意味していた。ヴォルテールがフリーメイソンの会員であったことは周知の事実であり、カラス事件においてカラスの名誉回復が迅速におこなわれた背景にはフリーメイソンとのかかわりがあるとの指摘もある。1773年、フランスではグラントリアン(大東社)が創設されており、その庇護者はのちにオルレアン公となるルイ・フィリップであった。1789年時点でのフランスのフリーメイソン会員は、約5万人と推定されている。 ドイツにおける最初のフリーメイソンは1737年にハンブルクで設立されたものであるが、すぐに北ドイツ一帯に広がり、中部から南部へも拡大した。ドイツでもカトリック教会はフリーメイソンを禁圧したが、ここではバイエルン選帝侯領を中心に「イルミナティ(光明会)」と呼ばれるフリーメイソンの一分派を生じた。 人類の幸福のための科学・技芸の推進を主な目的としていたフリーメイソンは、卸売商人、企業家、小売店主、自由業、職人の親方といった人々に広がり、彼ら中小のブルジョアジーが啓蒙主義に接触していくうえで大きな助けとなった。ただし、平の職人や下僕、俳優などは排除されていた。一方、フリーメイソンは開明的・啓蒙的な君主や貴族をも惹きつけており、プロイセン国王フリードリヒ2世はベルリンの会所のロッジ長であった。イギリスのイーフレイム・チェンバーズは、『サイクロペディア』(Cyclopaedia 1728年)の編纂者であると同時にフリーメイソン会員でもあったが、各国の会員は当初はチェンバーズの百科事典を翻訳し、フランスではこれに刺激されて上述の『百科全書』刊行につながった。フリーメイソンの活動は改革派教会再建運動とも連動しており、各国の会員は会員相互の交流によって啓蒙思想にふれ、政教分離論にもとづく宗教的寛容の思想を育てていった。「啓蒙の世紀」は、たんに偉大な思想家や文化人が活動したというのにとどまらず、「読書協会」など身分を越えて関心を同じくするサークルや教派を越えて同一の信条をもつフリーメイソンなどの広がりにより、広く人々の間に新しい思想や文化がもたらされた。これが、18世紀が「協会の世紀」とも称される所以である。
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