啓蒙の世紀
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「近世から近代にかけての世界の一体化」の記事における「啓蒙の世紀」の解説
詳細は「啓蒙思想」および「百科全書」を参照 17世紀の科学革命の成果を受け、18世紀には合理的な思考を自然のみならず社会にもあてはめ、理性に絶対の信頼をおいて、非合理的なものを批判する啓蒙思想がフランスを中心にひろまった。ダランベール、ディドロらによってパリで発行された『百科全書』は啓蒙の集大成であり、当時の先端科学からアジアの情報までふくまれていた。 フランスでは、『哲学書簡』のヴォルテール、『法の精神』のシャルル・ド・モンテスキュー、『社会契約論』・『人間不平等起源論』のジャン=ジャック・ルソーらによる啓蒙思想が、絶対主義や宗教の非合理的な面を批判する下からの変革の思想となった。 これに対し、ドイツやロシアでは富国強兵をめざす絶対主義君主が「上からの近代化」をおしすすめるために啓蒙思想を利用した。このような君主を啓蒙専制君主という。「君主は国家第一の下僕」ということばを残したフリードリヒ2世(プロイセン)やエカチェリーナ2世(ロシア)、ヨーゼフ2世(オーストリア)は、その代表である。イギリス経験論と大陸合理論の統合を果たそうとしたドイツ観念論哲学の祖イマニュエル・カントは、ドイツ啓蒙思想の代表でもある。また、ゴットホルト・エフライム・レッシング(ドイツ)は劇場活動を通しての啓蒙に意を注いだ人物だった。
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