啓蒙主義から概括主義へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
「民法典論争」の記事における「啓蒙主義から概括主義へ」の解説
また、社会の変動期との理解からすれば、説明的で詳細に過ぎる旧民法では硬質過ぎて、社会の激動に耐えないと考えられた。そこで、ドイツ民法典第一委員会の決議に倣い、「法典の条文は、原則変則及び疑義を生ずべき事項に関する規則を掲ぐるに止め、細密の規定に渉らず」(「法典調査の方針」11条)という基本方針を上申した。 これは、起草の時間が無かったから簡略化にしたに過ぎないとする理解もあるが、そうではなく、立法者が全ての紛争を事前に予想し規定することは不可能である以上、学説・判例の発展を阻害しないよう、法典は必要最小限の事項に絞った抽象的規定に止めるべきとの意であり、それが陳重のいう「根本的改修」の真の意味だったとも解されている。
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