現代のロシア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 15:21 UTC 版)
ソビエト連邦の崩壊後、第二次ウラジーミル・プーチン政権下においては、2014年クリミア危機以降、欧米諸国による経済制裁が強化されたことに対抗する形でソ連時代の「再評価」が進められており、それに伴い大粛清の資料の公開も滞りつつある。例としては、上記のエジョフの機密文書を2014年7月にウクライナ保安庁が機密解除したのに対し、ロシア連邦保安庁は未だに機密扱いしている。さらに、市民団体メモリアル(下記)もロシア外国代理人規制法(英語版)により「外国のエージェント」の烙印を押されて当局の監視下に置かれ、2021年にロシア連邦最高裁判所により解散を命じられた ロシアの人権団体メモリアルは、連邦保安庁(旧:KGB)本部前のルビャンカ広場に建立した追悼慰霊碑の前で犠牲者の名前などを読み上げる追悼式典を開いている。2017年10月30日には、ロシア連邦政府による初の公式追悼碑「嘆きの壁」がモスクワに設置された。ロシア大統領ウラジミール・プーチンは「数百万人が亡くなったり、苦しんだりした。この悲劇を忘れないことが、我々の義務だ」と式典で挨拶した。 一方で、「こうした弾圧措置は道義的また倫理的には問題があったとはいえ、そのおかげでロシア・ソ連の近代化が成功した」として、この時期のスターリンの行動を肯定・正当化しようとする論者も存在している。その根拠は、スターリンの時代を矛盾の時代だと定義することから出発している。すなわち、ソビエト成立時の産業構造は農業主体であったが、本来であれば数十年をかけて工業化を進めるところを、農民を犠牲にした強制的な資本蓄積を図ることで産業構造の近代化を成功させた、というのである。また、大粛清によって排除された高級将校は現代戦の知識に疎く、大粛清の後にはゲオルギー・ジューコフやイワン・コーネフのようにそれを補う有能な若手将校が現れたと主張されることもある。 しかし、一般には、赤軍が熟練将校や指揮官の大半を失ったことが冬戦争と独ソ戦(特に初期)での甚大な損害を招いたとされている。トゥハチェフスキーのような先進的戦略家らも犠牲になる一方で、冬戦争や独ソ戦における失態から無能との悪評高いクリメント・ヴォロシーロフや騎兵を過大評価し戦車を軽視するセミョーン・ブジョーンヌイらが粛清を免れたことから、「現代戦の知識」よりも「党への忠誠」が重視された大粛清であった。
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