ロンドンオリンピック以降
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ロンドン五輪の惨敗から3か月半後の12月2日の第66回福岡国際マラソン(世界陸上モスクワ大会選考レース)に急遽エントリー。35Km過ぎで再び両ふくらはぎがつる影響によりペースダウン、日本人では堀端宏行(旭化成)に次ぐ2着の4位に甘んじた。翌2013年2月、香川丸亀国際ハーフマラソン及び東京マラソン2013に出場予定だったが、同年1月のトレーニング中に左太もも裏を痛めてしまい、両レース共に欠場となった。 2013年9月15日、グレートノースラン(ハーフマラソン・ イギリス)で福岡国際マラソン以来9か月ぶりの公式レースに出場、1時間2分44秒で日本男子トップの4位に。同年9月29日の函館ハーフマラソン男子の部では、ライバル・川内優輝らと競り合う中残り1.5Kmで後続を振り切り、1時間4分19秒で同大会初優勝を果たした。同年12月1日、1年ぶりフル挑戦の第67回福岡国際マラソンに再び川内らと出場、レース前の記者会見では藤原・川内の舌戦バトルが繰り広げられる。しかし16Km付近で先頭集団から遅れ始めた後、20Km手前で歩いてしまい、再び走り出そうとするも20Km過ぎの地点で途中棄権に終わった。 2014年2月23日の東京マラソン2014では、事前にインフルエンザによる練習不足が響き、27Km地点辺りで急激に失速。ゴール手前では日本女子トップで7位の伊藤舞(大塚製薬)にも追い抜かれるなど、結局76位の成績不振だった。同年5月11日の仙台国際ハーフマラソンでは川内優輝(4位)に遠く及ばず1時間5分42秒の19位、翌週5月18日の高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソンでも川内(11位)から大きく引き離され、1時間10分42秒の53位に終わった。同年7月6日のゴールドコーストマラソンも川内(3位)と共に出走したが、結果15位に留まった。 2015年2月1日の香川丸亀国際ハーフマラソンは1時間3分46秒の57位、同年2月22日の東京マラソン2015も20Km過ぎで集団からズルズル後退し37位 と、依然レースで好結果を残せない状況が続いていた。
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ロンドンオリンピック以降
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2012年に明治大学を卒業後、4月1日付でスヴェンソンと所属契約を結んだことがこのほど日本卓球協会より発表された。7月4日付世界ランキングで自己最高の5位となり、ロンドンオリンピックではメダルを期待され自身もメダル目標に掲げて男子シングルスで第3シードとして挑んだ。初戦の3回戦は突破したものの4回戦で敗退しベスト16。マイナス要素を考えすぎ、不眠症になり無理やり飲酒をし睡眠をとるなどしたためにプレーに影響が出た。男子団体5位。団体戦全勝。なお、話題作りのために襟足の色を金色に変えて挑んだ。 2012年世界卓球選手権大会では男子団体でエースとして活躍。銅メダルに貢献した。 全日本選手権では決勝で後輩にあたる青森山田高校の丹羽孝希との対戦になり、ゲームカウント3-4で丹羽孝希の勝利。ファイナルセット9-11と敗れ、2大会連続2位の結果となった。水谷はこの大会コーチ無しで挑んだ。 2012年10月に卓球のラケットのラバーに違法行為である「補助剤」を、多くの選手が使用している卓球界の現状を問題提起した。国際試合への出場を取りやめ、問題の解決を訴えたという。しかし問題の解決には時間がかかり、選手としてプレーをしたいという思いも強く、半年後のワールドツアー・クウェートオープンに参戦し国際試合に復帰する。 2013年世界卓球選手権パリ大会でダブルス銅メダル、同年全日本卓球選手権大会では3年ぶり6度目のシングルス優勝を達成した。 2013ワールドカップ男子団体戦では、銅メダルに貢献した。 2013年よりロシア・プレミアリーグのUMMCと契約。10月、青森山田時代からの知遇であった邱建新を専属のプライベートコーチとして迎え入れる。 2013年11月22日(いい夫婦の日)に、高校時代に知り合った一般女性と7年の交際を経て結婚、25日に、DIOジャパンとスポンサー契約を結ぶ、2014年には第一子となる長女が誕生し、年末のITTFワールドツアー・グランドファイナルで2度目の優勝。 2013アジア対ヨーロッパのアジア団体メンバーに選ばれる。全勝を果たしアジア勝利に貢献した。 2014年世界卓球選手権大会では男子団体でエースとして活躍。銅メダルに貢献した。 2014年8月に、DIOジャパンとの契約満了で新たにビーコン・ラボと契約。 2014全日本選手権大会優勝。明治大学の後輩にあたる町飛鳥との対戦。ゲームセット4ー1。 2014ワールドカップシングルスでは3位決定戦でドイツのティモ・ボルとの対戦となった。ゲームセット2ー4で4位の結果となった。 2014アジア対ヨーロッパのアジア団体メンバーに選ばれた。全勝しアジア勝利に貢献した。 2014に台湾で行われた男子卓球スター招待試合では、元世界ランク1位スウェーデンのパーソンとベルギーのセイブを破り決勝進出を果たした。決勝では、2013世界選手権男子ダブルス金メダルの荘智淵に4-3で勝利し優勝した。 2015全日本選手権大会優勝。明治大学の後輩にあたる神巧也との対戦。ゲームセット4ー0。 2015年世界卓球選手権大会では男子シングルス2度目のベスト8の成績を残した。 2015ワールドカップシングルスでは3位決定戦でドイツのオフチャロフとの対戦となり2ー4で敗れ4位の結果となった。 2015台湾卓球名人戦では、2019全中国で優勝した侯英超選手、世界選手権ダブルス金メダルの陳建安、世界ランクトップ10の常連フレイタス選手を破り決勝進出を果たした。決勝ではドイツのロンドン五輪シングルス銅メダル、団体銀メダルのオフチャロフに4-2で敗れ2位の結果となった。 2014-15年シーズン、所属するロシア・プレミアリーグのUMMCでは全勝優勝を果たす、またはヨーロッパチャンピオンズリーグでは準々決勝で敗退。 2016年世界卓球選手権大会男子団体ではエースとして銀メダルに貢献した。 2015-16年シーズン、所属するロシア・プレミアリーグのUMMCはオレンブルクのFakel Gazpromに敗れ準優勝。
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