世界陸上モスクワ大会
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ロンドン五輪落選後も現役続行を宣言した野口だったが、2012年5月13日の仙台国際ハーフマラソンは体調不良のため欠場。同年9月30日、ポルトガルで開催のハーフマラソン大会に出場、4位に終わるも「後半にアクシデントもあったが、まずまずの手応え」と納得のコメントだった。今後は翌2013年世界陸上モスクワ大会女子マラソン代表選出を目指す意向を表明した。しかし、2013年1月27日の同世界陸上の選考レースだった大阪国際女子マラソンは、急性胃腸炎の回復が遅れ2年連続でスタートラインに立てなかった。 2013年3月10日、世界陸上の国内最終選考会である名古屋ウィメンズマラソンで1年ぶりにフルマラソンに出場。前半から集団を引っ張るなどの積極的なレースをするものの、35.5kmで木崎良子・ベルハネ・ディババのロングスパートに対応できず徐々に離された(木崎が優勝し世界陸上即内定)が、最後まで粘り切り2時間24分05秒の好タイムで3位入賞。同世界陸上の代表が自動的に決まる2時間23分台以内には届かなかったが有力候補の一人となり、ゴール後の会見では「全盛期と同じように強気な走りができた」と笑顔でコメント。 同年4月25日、世界陸上のモスクワ大会マラソン代表が発表。女子マラソンは「最近の不振への引き締め」(陸連)と代表派遣が3人のみ絞られた(最大5枠)が、木崎良子・福士加代子と共に、自身10年ぶりの世界陸上選手権女子マラソン代表に選ばれた。その後同年5月12日には、前年欠場した仙台国際ハーフマラソンに出場。9km過ぎに樋口紀子を引き離し、2位に1分近くの差をつけて、ハーフマラソンで約5年ぶりとなる優勝を果たした。レース後の野口は「優勝は出来ましたが、目標の1時間8分台・9分台のタイムが出せず悔しいです。気持ちを切り替えて世界選手権に向けて頑張りたい。完全復活にも少し近づけたと思います。」と述べていた。 同年8月10日に開催された世界陸上モスクワ大会・女子マラソンに出場。気温30度を超える過酷な気象条件の中、レース序盤は福士加代子らと先頭集団についていたが、10Km手前で集団から遅れ始める。12Km過ぎでは木崎良子にも抜かれ、8・9位付近でレースを続けるも、30Km手前で太ももに痛みが走り、止まってしまう。その後レースを再開し、走行と歩行を繰り返していたが、33Km付近で宗猛・日本陸連男子マラソン部長に走るのを制止され、無念の途中棄権に終わった(救急車で医務室へ運ばれ、軽い熱中症と診断される。福士は3位入賞・銅メダル獲得、木崎は4位入賞)。
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