世界陸上モスクワ大会18位
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「川内優輝」の記事における「世界陸上モスクワ大会18位」の解説
翌2013年開催の世界陸上モスクワ大会男子マラソン選考レースだった、12月2日の福岡国際マラソンでは、レース前の招待選手記者会見で東京マラソン同様に藤原新との口撃バトルを繰り広げ場を沸かせていた。しかし本番レースでは28km付近で先頭集団から脱落、終盤追い上げたが6位に留まる。それでも12月16日の防府読売マラソンでは、2位のマイナ・ディシ(愛三工業)に1分39秒の差をつけ、2012年に出場したフルマラソンでは5回目となる優勝で締めくくった。 世界陸上選考会再挑戦となった2013年2月3日の別府大分毎日マラソンでは、28km付近でロングスパートを仕掛けると、その後ロンドン五輪男子マラソン6位入賞・中本健太郎との一騎討ちに。残り2kmを切った給水地点を過ぎた直後、自ら果敢に飛び出して中本を引き離し、同マラソン大会新記録をマーク・自己記録も22秒を上回って通算7回目のマラソン優勝を達成。世界陸上モスクワ大会・男子マラソン代表選考へ大きく名乗りを挙げた。 それから2週間後の金栗記念熊日30キロロードレースでは、自ら30kmの記録を36秒更新し大会記録で優勝。3月17日のソウル国際マラソンは2時間7分台を目指して出場したが、32km過ぎから2度目の先頭集団のペースアップについていけずに後退、辛うじて当時の自己記録を1秒縮めるも4位に留まった。しかし、別府大分毎日マラソン、ソウル国際マラソンでの2ヶ月連続2時間8分台達成は、世界でも類を見ない快挙である。4月21日の長野オリンピック記念長野マラソンでは、降雪とスタート時の気温0.4度という厳寒の中、40km手前で2位のアレクセイ・ソコロフ(ロシア)を振り切り、同マラソンでは日本男子として初優勝を達成した。 2013年4月25日、世界陸上モスクワ大会男子マラソンへ2大会連続2回目の代表選出となった。同年6月2日の千歳JAL国際マラソンでは、タイムは2時間18分台ながらも合計9回目のマラソン優勝。3年連続出場となる、6月16日の第8回隠岐島ウルトラマラソン男子50kmは招待選手で出走、トップでゴールするも軽い熱中症で完走直後に倒れ、病院へ搬送された。2年連続出場の7月7日のゴールドコーストマラソンでは大会タイ記録をマーク、自身丁度10回目となるフルマラソン優勝を成し遂げた。 しかし、川内自ら「6位入賞」が目標だった、世界陸上モスクワ大会男子マラソン本番は、25度を超える高温に対応できず、25km付近で2位集団の争いから脱落。結局は日本人四番手の、総合18位のゴールに終わった(日本人首位は中本健太郎の5位入賞)。
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