世界陸上ヘルシンキ大会以後
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「佐藤美保」の記事における「世界陸上ヘルシンキ大会以後」の解説
しかし、所属する京セラ陸上部は、会社の方針として、マラソンや駅伝を強化する方向にシフト。中距離の選手だった杉森は、世界陸上大阪大会と北京五輪に出場し、400mと800mで好成績を残すという目標を実現させるため、2007年2月に退社。川本和久が監督として率いるナチュリル陸上部に移籍した。 私生活では、転属した2007年7月7日、中国電力所属のマラソン選手・佐藤敦之と結婚した。しかし互いに異なった場所を練習拠点に北京五輪出場を目指していたため結婚後も別居状態であった。 2008年の日本選手権800mでは2分05秒37で優勝するも、北京五輪参加標準記録A(A標準、2分00秒00)に届かず、敦之との夫婦同時五輪出場はならなかった(このとき佐藤は夫に謝るようなポーズでのゴールとなった)。 2008年10月23日には敦之のサポートに専念するために競技生活を一時離れ休養し、同年いっぱいでナチュリル陸上部を退部することを発表した。 2014年2月、敦之の京セラ女子陸上競技部就任とともに、美保のコーチ就任もあわせて報道された。同年4月1日、正式に監督に就任。美保も同時にコーチに就任した。2020年8月31日付けで夫の敦之が監督を辞任したのと同時に美保もコーチを辞任した。
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