世界陸上4位入賞・オリンピック代表選考騒動とは? わかりやすく解説

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世界陸上4位入賞・オリンピック代表選考騒動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 22:18 UTC 版)

有森裕子」の記事における「世界陸上4位入賞・オリンピック代表選考騒動」の解説

1991年夏に東京開かれた世界陸上競技選手権大会マラソンでは、メダルには届かなかったが、2時間31分08秒で4位入賞果たしバルセロナオリンピック1992年)代表の有力候補となったものの、その時点ではまだ代表内定は出なかった(山下佐知子が2時間2957秒で日本人トップ2位入り銀メダル獲得先にバルセロナ五輪内定決まった荒木久美12位)。有森その後バルセロナ五輪国内選考会の一つである、翌1992年1月大阪国際女子マラソン出場予定だったが、左足怪我為に欠場。又次の同年3月名古屋国際女子マラソン回避しバルセロナ五輪女子マラソン代表選考決定をただ待つのみとなる。尚名古屋国際終了後有森対し日本陸連からは「ケガ完治した事をアピールし欲しい」という要請もあって、有森地元岡山市と及び千葉県の各10Kmロードレース優勝するなど、不安が無いという存在示していた。 そのオリンピック女子マラソン代表の座をめぐり、有森出場しなかった1992年1月大阪国際女子マラソンでは、有森日本最高記録更新して2時間2626秒のゴールタイムで優勝しバルセロナ五輪代表を確定的にした小鴨由水次ぎ、2時間27分2秒の好記録2位となった松野明美比較されることになる。当時国民的な論議となり、松野が自ら五輪表決直前に「私を選んで下さい」という異例記者会見大きな話題となった。 しかし代表選考結末は、最後3人目有森の方がマラソン経験実績買われて、山下小鴨と共にバルセロナ五輪女子マラソン代表となった。それでも、有森よりも記録良かった松野落選させるという、日本陸連不透明曖昧な選考方法抗議の声が殺到有森所属するリクルート等にも誹謗中傷電話手紙相次いだという。尚、念願オリンピック初代表に選出され有森記者会見で「色んな形でこういう感じ決まった事も有りますが、『よかったな』という想いを、少しでも今日出して良いんじゃないかなと」「受験発表を待つよりもちょっと酷いかな、という気持ち有りました」等と落選した松野気遣ってか、喜び笑顔は殆ど見せなかった。 その後有森松野20年間に渡って一度互いに言葉を交わすことはなかった。後に『[劇場版]ライバル伝説 光と影』の映画鑑賞企画において20年ぶりに再会した際、有森は「20年間、松野明美避けて来た」、「以前何回対面機会はあったのですが、心情簡単に会えないなと思いまして、私の方が避けていました」と心情吐露している。

※この「世界陸上4位入賞・オリンピック代表選考騒動」の解説は、「有森裕子」の解説の一部です。
「世界陸上4位入賞・オリンピック代表選考騒動」を含む「有森裕子」の記事については、「有森裕子」の概要を参照ください。

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