ロンドンオリンピック代表選考落ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 09:33 UTC 版)
「パトリック・マカウ」の記事における「ロンドンオリンピック代表選考落ち」の解説
2012年開催のロンドンオリンピックマラソン競技ケニア代表3名の枠を巡る争いは熾烈なものとなった。ケニア陸上連盟は2012年1月に代表候補選手6名を発表したが、これらの選手たちの中には世界記録保持者のマカウ以外にも、2011年10月に行われたフランクフルトマラソンにてマカウの持つ世界記録とわずか4秒差と迫る2時間3分42秒という世界歴代2位の記録をたたき出したウィルソン・キプサングや、2011年4月のボストンマラソンで非公認記録ながら2時間3分2秒の驚異的なタイムを叩き出して優勝しニューヨークシティマラソンでも従来の記録を2分以上縮める驚異のコースレコードを叩きだしたジョフリー・ムタイ、同じく2011年ボストンマラソンで非公認記録ながら2時間3分6秒で2位に入りシカゴマラソンでもコースレコードを叩きだしたモーゼス・モソップ、2時間4分40秒の自己ベストを持ち2010-2011シーズンのワールドマラソンメジャーズを制覇したエマニュエル・ムタイ、さらに2時間5分4秒の自己ベストながら2009年と2011年の世界陸上競技選手権大会で2連覇を達成していた世界大会での実績十分なアベル・キルイと、4年前の五輪金メダリストのサムエル・ワンジルを超える実力を有すると思われる世界でも別格の選手達で占められており、いかに世界記録保持者たるマカウといえども容易にはオリンピックに出場することができないほどケニア・マラソン勢の層は厚かった。 それまで追う立場であったマカウは世界新記録を樹立したことで追われる立場となり、しかも代表選考レースとなるロンドンマラソンは世界新記録を達成したベルリンマラソン以来初めてのレースであったこともあり、当時のマカウを見ていた者の中には代表選考にあたって彼が大きなプレッシャーを感じていたと指摘する者もいる。例えばマカウと同じ練習場を利用していた仲間たちは、それまで以上に厳しい練習を自らに課すマカウを見てオーバーワークになっていないか心配していたという。実際にオーバーワークによるものであったのかは不明であるが、ロンドンマラソンの10日前にマカウはスピード向上のための練習中に太ももの裏側を痛めてしまった。 マカウは出場はしたものの優勝候補と目されながら途中棄権し、このロンドンマラソンで優勝したキプサング、6位のキルイ、7位のエマニュエル・ムタイがケニア代表に選出され[32]、現役の世界記録保有者がオリンピック代表選考に落選するという結果となった。
※この「ロンドンオリンピック代表選考落ち」の解説は、「パトリック・マカウ」の解説の一部です。
「ロンドンオリンピック代表選考落ち」を含む「パトリック・マカウ」の記事については、「パトリック・マカウ」の概要を参照ください。
- ロンドンオリンピック代表選考落ちのページへのリンク