ロンドンオリンピック代表選出・出場
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「藤原新」の記事における「ロンドンオリンピック代表選出・出場」の解説
2012年2月5日の香川丸亀国際ハーフマラソン男子の部では総合6位・日本人で2着(日本人首位は高林祐介(トヨタ自動車)の5位・1時間01分31秒)ながらも、1時間01分34秒の自己記録をマークした。同年2月26日、ロンドンオリンピックへの切符を賭け、10度目のマラソンとなる東京マラソン2012に出場。レース中盤から徐々にペースを上げ日本男子トップ争いの先頭に立ち、終盤で前世界記録保持者のハイレ・ゲブレシラシエ( エチオピア)を抜き、2時間7分48秒の自己ベスト記録で2位(日本人1位)でゴールインした。この成績により、同年3月12日にロンドン五輪男子マラソン日本代表に正式選出され、3月17日には日本陸上競技連盟A指定選手となった。なお3月31日には、ロンドン五輪代表選考に落選した「日本最速市民(公務員)ランナー」の川内優輝(当時・埼玉県庁所属、現・プロランナー) と共に、荒川の土手で合同トレーニングを披露していた。 ロンドン五輪男子マラソン・日本代表選出後の2012年4月9日、自身のマネジメント会社となる『株式会社藤原新』を設立。動画共有サイト『ニコニコ動画』を通じて個人スポンサーを募り、最終的に1050万円の活動資金を得る。5月9日にはミキハウスと所属契約を締結。契約期間は2012年5月~2013年4月までの1年間。 その傍らで藤原は自ら「プロランナー」の肩書きで、マラソン・オリンピック関連のマスメディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等)へゲスト出演などでも活動。他多数のスポンサーから多くの資金を集めるも、この行動に対し一部のタブロイド紙などでは「五輪本番で結果を出さないと引っ込みがつかなくなるのでは」「実業団や陸連は内心では快く思っていないはず」等と、藤原の姿勢を揶揄したり疑問視するものがいた。 同年6月29日にロンドン五輪本番に向けて、公式応援歌「風雅~新たなる道へ~」を自身がファンだという→Pia-no-jaC←によって作成された。 2012年8月12日に行われたロンドン五輪男子マラソン本番では、30Km過ぎ辺り迄は8位以内の入賞を狙える好位置についていた。だが、それまでのペースの上げ下げでスタミナ切れ・ガス欠状態を引き起こし、さらに32Km付近で両足ふくらはぎを痙攣させるアクシデントも響き、又してもレース終盤で極端に大きく失速してしまう。なんとか完走こそはしたものの、結局日本人最下位 の45位に終わった。
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