ロンドン五輪の惨敗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 15:39 UTC 版)
2012年5月には体重別直後のロンドンオリンピック代表選手発表記者会見に出席して、代表選手の階級と名前を読み上げたものの、男子60kg級で長年この階級の代表を務めてよく知っているはずの平岡拓晃の名前を読むことが出来ず、さらには、「キログラム」をまともに発音することもほとんどできないという有様であった。この会見をテレビで見た視聴者からは「酒を飲んでしゃべらせるんじゃない!」という苦情が全柔連に寄せられた。ただし、実際には吉村は酒は全く飲まない。さらに、この時の模様は動画サイトのYOUTUBEやニコニコ動画にも投稿されて多数のアクセスを呼んだ。また、この記者会見では全柔連の許可を得たフジテレビの意向で、代表候補を同席させた上で選出選手と落選選手の表情がテレビ画面にアップで映し出される演出が行われたために、後に選手側から「見せ物のようにさらされた」と非難されることにもなった。 そして迎えた2012年7月のロンドンオリンピックでは男子は五輪史上初めて金メダル0、量産が期待された女子も金メダルが1個という結果に終わった。女子48kg級代表に世界選手権2連覇中の浅見八瑠奈ではなく福見友子を選出して5位、女子52kg級代表に2010年世界チャンピオンの西田優香ではなく中村美里を選出して初戦敗退、男子73kg級代表に投げ技・寝技共に得意で実績豊富な秋本啓之ではなく中矢力を選出したが銀メダル止まり、などの経緯から責任を問われる事となった。 ロンドンの惨敗を受けてなお、「1期より2期やらせた方がいい」「誰も負けようと思ってやっていない。たまたま、こういう結果になった」「男女の両監督は五輪1大会しか務めていないし、残すのが前提」などと、男子監督の篠原信一と女子監督の園田隆二の続投を支持する発言を機会あるごとに強調し続けてきたが、結果的に篠原が辞意を固めたため、男子の監督は井上康生が務める事になった。一方、続投となった園田は2012年12月にロンドンオリンピック代表を含む15名の強化選手にその暴力体質をJOCに告発されると、それが公になった2013年2月には監督を辞任するに至った。 自らの進退に関しては、ロンドンオリンピック終了直後に「選手を信じてやってきたが、これはおれの責任。進退伺を出すしかないだろう」と発言し、9月10日の専門委員長会議においても「進退伺を出している。上層部の決定に従う」と言明したが、全柔連専務理事の小野沢弘史によれば、実際には進退伺など提出していなかったという。10月20日の全柔連理事会では任期満了に伴う強化委員長からの退任及び、新たに増設された強化担当理事への昇格という人事が展開された。
※この「ロンドン五輪の惨敗」の解説は、「吉村和郎」の解説の一部です。
「ロンドン五輪の惨敗」を含む「吉村和郎」の記事については、「吉村和郎」の概要を参照ください。
- ロンドン五輪の惨敗のページへのリンク