ロンドン五輪女子マラソン日本代表選出・出場(18位)
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「尾崎好美」の記事における「ロンドン五輪女子マラソン日本代表選出・出場(18位)」の解説
2011年11月20日、第3回横浜国際女子マラソンへ同大会2連覇と、翌2012年8月開催のロンドンオリンピック女子マラソン代表選出を目指して出場。気温22度の高温下のレースとなるが、前回大会同様に先頭付近をひた走り、40km過ぎには一旦自らラストスパートを仕掛ける。しかしその後失速、残り1Kmを過ぎてから優勝した木崎良子(ダイハツ)に逆転されてしまい、17秒差の2位と敗退。レース後の尾崎は「貧血の症状が出てしまい思うように練習が出来なかった」と悔し涙を浮かべていた。 2011年12月18日、宮城県で初開催の全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では1区を担当し区間賞を獲得、第一生命チームの総合優勝(2002年以来9年ぶり2回目)に貢献。レース後、2012年3月11日の名古屋ウィメンズマラソンで、五輪代表入りに再挑戦する意向を表明した。 その名古屋ウィメンズマラソンでは終始先頭集団に加わったが、35Km過ぎに後方から追い上げ優勝したアルビナ・マヨロワ(ロシア)に食らいつくも、37Km手前でマヨロワの飛び出しにはついていけなかった。その後は中里麗美との日本人争いのデッドヒートを繰り広げたが、ゴール迄残り700m地点で満を持した尾崎が中里をようやく振り切って、日本女子トップの2位でフィニッシュ。その翌日の3月12日、同年7月より行われる念願のロンドン五輪日本代表選手に、最後の3番目で初選出された。 2012年8月5日、期待されたロンドン五輪・女子マラソン本番レースに出走したが、中間点を過ぎた所で先頭集団のロングスパートに全く対応出来ず、ズルズルと後退してしまう。途中迄は日本人トップで走っていたが終盤で木崎に追い抜かれ、8位入賞ラインにも届かないまま、結局日本女子2番手の19位(当初)に終わった(当時木崎良子が日本人首位ながらも16位、重友梨佐は79位で3選手共メダル・入賞ならず)。 しかし、ロンドン五輪・女子マラソン開催より3年経過後の2015年11月、ウクライナ陸連は当初5着(ゴール記録は2時間24分32秒)だったタチアナ・ガメラの血液データを蓄積し変化を調べる「生体パスポート」の検査で異常値を示した為、ガメラをドーピング違反と判定。ガメラのロンドン五輪5着の順位・ウクライナ記録をそれぞれ取り消した為、同五輪・女子マラソンの尾崎の19着の順位が18位に繰り上がった(他木崎は15位、重友も78位に繰り上げ)。
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