ロンドン五輪への挑戦
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ママさんランナーとして日本女子史上初のマラソン五輪代表を狙う赤羽は、世界陸上大邱大会で日本女子最高の5位に入った事で、その後国内選考会3レース(横浜・大阪・名古屋)の出場は、他日本女子選手の結果次第という形式をとっていた。しかし2011年11月20日の横浜国際女子マラソンは木崎良子が、2012年1月29日の大阪国際女子マラソンは重友梨佐がそれぞれ優勝を果たした為、このままでは赤羽のロンドン五輪選出は難しいと判断。大阪のレース終了後の同年2月1日、当初2月27日の東京マラソン2012(女子の部は五輪選考会から除外)にエントリーするも回避、急遽ロンドン五輪女子マラソンの国内最終選考会である3月11日の名古屋ウィメンズマラソンへ、優勝を目指し再チャレンジする意向を表明した。 だが2012年2月の合宿中に左足首を痛め、思うように練習を積めない状況が続いた。結局体調万全で臨めないまま不安の中で、名古屋ウィメンズマラソンのスタートラインについたが、10Km地点の給水地点でボトルを落としてしまい拾い直すハプニングがあった。その後先頭集団に追いつき、中盤を過ぎて苦悶の表情ながら赤羽自ら集団を引っ張る積極性を見せたが、35Km手前で力尽き優勝争いから脱落し8位に終わる。結果ロンドン五輪女子マラソン日本代表は木崎・重友・尾崎好美(名古屋ウィメンズで日本人トップの2位)の3名が選出、赤羽は惜しくも落選し補欠選出に留まった(尚補欠選手は同年6月29日をもって解除、以降正式代表選手が故障等で出場辞退しても補欠の補充はされなくなった)。
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