ママさんランナーとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:15 UTC 版)
「赤羽有紀子」の記事における「ママさんランナーとして」の解説
専任コーチである夫のサポートを受け、2005年11月27日に5000mで日本歴代4位となる15分11秒17の好タイムをたたき出すなど、日本のトップ選手へと成長。2006年8月に女児を出産の後も走り続けており、「ママさんランナー」として注目を集めていた。 2007年11月には国際千葉駅伝日本代表に選出され、アンカーでキャサリン・ヌデレバ(アテネオリンピック・北京オリンピック女子マラソン2大会連続銀メダリスト・前女子マラソン世界記録保持者)を逆転し優勝。同年12月23日の日本体育大学女子長距離競技会には、10000mで翌2008年の北京オリンピックA参加標準記録を突破する、31分23秒27の好タイムをマークした(シーズン日本最高・当時日本女子歴代9位)。 2008年3月の全日本実業団ハーフマラソン(山口県)では、1時間08分11秒の大会新記録で優勝した(それまでの記録は、2004年アテネ五輪女子マラソン金メダリスト・野口みずきが作った2003年の1時間08分29秒)。
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