日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会とは? わかりやすく解説

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日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 08:15 UTC 版)

赤羽有紀子」の記事における「日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会」の解説

2009年5月7日同年8月開催世界陸上ベルリン大会女子マラソン代表へ、最後5人目選出された。ママさんランナーとして世界陸上代表及びマラソン代表では、日本陸上界で共に史上初となる。その3日後、5月10日仙台国際ハーフマラソンでは、1時間8分50秒のタイム同大初優勝。また6月25日日本陸上選手権女子10000mでも、佐伯由香里福士加代子らを破って初優勝果たした。 しかし期待され2009年8月23日開催の、世界選手ベルリン大会女子マラソン本番では、8月上旬右足裏を痛めたのとレース中に脱水症状起こすアクシデント響いて、25Km地点過ぎた後に先頭集団から脱落完走はしたものの、日本代表4選手では最下位31位に終わった女子マラソン団体戦では日本代表銀メダル獲得)。 その後再起期して2010年1月31日開催され大阪国際女子マラソンでは、直前に左膝を痛めながらも強行出場。26Km辺りまで自らハイペース先頭集団引っ張ったものの、怪我影響からか大阪城公園内の急な下り坂付近失速30Km過ぎでは足が攣って一回立ち止まり屈伸苦悶表情ゴール目指すも39Km手前で夫の周平コーチ止められ無念途中棄権となってしまった。 2010年4月25日ロンドンマラソンは、直前同年4月14日アイスランドエイヤフィヤトラヨークトル噴火の影響一時交通麻痺開催危ぶまれる程だったが本番当日予定通り決行となる。そのレースでは、33Km付近までハイペース先頭集団についていたがその後遅れ始める。左足水膨れと爪が剥がれるハプニング有りながらも粘り強く走り続け自己ベストとなる2時間24分台をマーク日本女子トップの6位でゴールした2010年6月開催され日本陸上選手権では、6月4日女子10000mと及び6月6日女子5000mそれぞれ出場したが、両種目共に優勝した福士加代子2位木崎良子及ばず3位甘んじた2010年7月4日開催札幌国際ハーフマラソンは、優勝した加納由理らのペースについていけず、1時間1330秒の7位に留まった。

※この「日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会」の解説は、「赤羽有紀子」の解説の一部です。
「日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会」を含む「赤羽有紀子」の記事については、「赤羽有紀子」の概要を参照ください。

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