日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会
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「赤羽有紀子」の記事における「日本選手権初優勝・世界陸上ベルリン大会」の解説
2009年5月7日、同年8月開催の世界陸上ベルリン大会の女子マラソン代表へ、最後の5人目で選出された。ママさんランナーとして世界陸上代表及びマラソン代表では、日本陸上界で共に史上初となる。その3日後、5月10日の仙台国際ハーフマラソンでは、1時間8分50秒のタイムで同大会初優勝。また6月25日の日本陸上選手権・女子10000mでも、佐伯由香里・福士加代子らを破って初優勝を果たした。 しかし期待された2009年8月23日開催の、世界選手ベルリン大会女子マラソン本番では、8月上旬に右足裏を痛めたのとレース中に脱水症状を起こすアクシデントが響いて、25Km地点を過ぎた後に先頭集団から脱落。完走はしたものの、日本代表4選手では最下位の31位に終わった(女子マラソン団体戦では日本代表で銀メダルを獲得)。 その後再起を期して、2010年1月31日に開催された大阪国際女子マラソンでは、直前に左膝を痛めながらも強行出場。26Km辺りまで自らハイペースで先頭集団を引っ張ったものの、怪我の影響からか大阪城公園内の急な下り坂付近で失速。30Km過ぎでは足が攣って一回立ち止まり屈伸、苦悶の表情でゴールを目指すも39Km手前で夫の周平コーチに止められ、無念の途中棄権となってしまった。 2010年4月25日のロンドンマラソンは、直前の同年4月14日アイスランドのエイヤフィヤトラヨークトルの噴火の影響で一時交通が麻痺、開催が危ぶまれる程だったが本番当日は予定通り決行となる。そのレースでは、33Km付近までハイペースの先頭集団についていたがその後遅れ始める。左足に水膨れと爪が剥がれるハプニングが有りながらも粘り強く走り続け、自己ベストとなる2時間24分台をマーク、日本女子トップの6位でゴールした。 2010年6月に開催された日本陸上選手権では、6月4日に女子10000mと及び6月6日の女子5000mにそれぞれ出場したが、両種目共に優勝した福士加代子と2位の木崎良子に及ばず3位に甘んじた。2010年7月4日開催の札幌国際ハーフマラソンは、優勝した加納由理らのペースについていけず、1時間13分30秒の7位に留まった。
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