主な成績(マラソン)
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2006年3月12日 名古屋国際女子マラソン 2時間38分04秒 第18位尾崎の記念すべき初マラソンだったが上位争いには加われず、完走するだけで精一杯であった。尚このレースでは、尊敬する資生堂所属の先輩だった弘山晴美が悲願のマラソン初優勝を果たし、尾崎自身も感激したという。 2006年11月19日 東京国際女子マラソン 2時間28分51秒 第2位終盤の39km付近、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子が失速により、後半追い上げた尾崎が一気に抜き去る。優勝した土佐礼子に次いで2位と大健闘、その後の表彰式では新人賞を受賞した。なお尾崎はこのマラソンで第一線から退く予定だったが、関係者からの勧めもあって現役を続行する。 2007年11月18日 東京国際女子マラソン 2時間28分39秒 第4位前回より順位は落ちたが、自己記録を12秒上回ってゴール。奇しくも前回とほぼ同じレース後半の39km地点辺りで、今度は前女子マラソン日本記録保持者の渋井陽子を追い越した。しかし優勝した野口みずきには、約7分の大差をつけられた。尾崎曰く「野口さんは横綱、私は平幕なので北京オリンピックはとても・・・。(北京五輪女子マラソン選考会の再挑戦は)微妙ですね」。 2007年12月9日 JALホノルルマラソン 2時間34分22秒 女子第2位前回の東京からわずか3週間後にフルマラソンに出走。優勝したアレフチナ・ビクティミロワ(ロシア)とは1分15秒差。 2008年2月17日 泉州国際市民マラソン 2時間39分25秒 女子優勝当初は尾崎と同じSWAC所属の加納由理が出場予定だったが、踵の故障により欠場、加納の代役として急遽出走。2位との差は3分以上の大差をつける貫禄勝ち。 2009年1月25日 大阪国際女子マラソン 2時間32分09秒 第10位約1年近くぶりのフルマラソン出走だったが、14Kmを過ぎた後にハムストリングを痛めて先頭集団から脱落し、10位のゴールに留まった。 2009年4月19日 長野オリンピック記念長野マラソン 2時間31分18秒 女子第3位 日本女子ではトップでゴール。優勝したイリナ・ティモフェエワ(ロシア・北京五輪女子マラソン7位)とは1分11秒差。 2009年8月30日 北海道マラソン 2時間27分23秒 女子第2位 スタート直後から同じSWAC所属の嶋原清子とトップ争いを繰り広げたが、12Km地点を過ぎてから徐々に離される。国内メジャーマラソンの初優勝は逃したものの、自身のマラソン自己記録を1分以上更新して2位でゴール。又優勝した嶋原と共に、SWAC所属選手でのワンツーフィニッシュを達成した。 2009年11月8日 アテネクラシックマラソン 2時間39分56秒 女子優勝序盤から先頭集団につけ、39キロ過ぎから一騎討ちを振り切り、2位以下に36秒差をつけて優勝した。 2009年12月13日 JALホノルルマラソン 2時間48分24秒 女子第7位出走中に貧血・脱水症状を起こす苦しいレースとなり、なんとか完走は果たすも結局7位に終わった。 2010年2月28日 東京マラソン2010 途中棄権この東京マラソンのレースを以て、競技生活の一区切りをつける事をセカンドウィンドACのBLOGにて発表。しかし本番レースでは、冷たい降雨という悪条件での出走となり、35Km過ぎに自身初のリタイアで競技生活を終える事となった。その後もSWAC所属のままで、スタッフ及び一般市民ランナーとして活動中(その間産休・育児専念により活動を休止した時期が有る)。 2012年10月7日 いわて北上マラソン大会 3時間12分18秒 ゲスト出走第一子出産後「ママさんランナー」として、初のフルマラソンに出場し完走(尚招待選手として出走のため順位無し)。 2013年2月17日 泉州国際市民マラソン 途中棄権招待選手として5年ぶりに同大会に出場したが、膝の痛みが引かず33Km付近でリタイア。
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