世界陸上大邱大会
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2011年4月21日、日本陸連理事会で世界陸上大邱大会の日本代表に2大会連続で選出、同年8月27日に施行された世界陸上初日の女子マラソンに出場。本番レースはスタートから32km付近までは団子状態で先頭集団をキープしたが、33kmからのケニア・エチオピア勢らのロングスパートについて行けず、日本女子勢は大きく離される展開となる。その後は赤羽だけが辛うじて入賞圏内を保持したが、最終的には2時間29分35秒で日本人トップながらも5位入賞 に留まり、念願のメダル獲得は果たせず、翌2012年8月開催予定のロンドンオリンピック女子マラソン日本代表も即内定に至らなかった。なお女子マラソン団体戦での日本代表は4位に終わり(3位のエチオピアとは38秒差)、1997年の世界陸上アテネ大会でマラソン団体戦を採用して以来、初めて表彰台を逃してしまった。 2011年12月23日の山陽女子ロードレース・ハーフマラソンの部では、野口みずき等を抑えて1時間9分16秒の大会新記録で優勝した。
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