世界陸上大邱大会・9位
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「中本健太郎」の記事における「世界陸上大邱大会・9位」の解説
拓大卒業後の2005年4月に安川電機に入社し、同社の陸上競技部選手として活動。駅伝競走やトラック競技などでは力が出せなかったものの、当陸上部監督の山頭直樹に勧められてフルマラソンに挑戦する。初マラソンは2008年の延岡西日本マラソンで3位だった。同年8月の北海道マラソンでは、優勝した高見澤勝(佐久長聖高校)に次ぐ2位に入ったが、その後フルマラソンでは暫く不本意な結果が続いていた。 2011年3月のびわ湖毎日マラソンでは、日本人トップで3位の堀端宏行(旭化成)に次いで日本人2番目の4位に入り、自身初めてサブテン(2時間10分未満)の記録でゴールイン。この成績で世界陸上大邱大会男子マラソン代表に初選出された。その2011年9月の世界陸上大邱大会男子マラソン本番では、再び堀端(6位)に先を越され僅かに入賞は成らなかったが、日本人2着の9位と健闘した。
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