世界陸上大邱大会17位
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同年2月27日の東京マラソン2011では、過去世界陸上選手権男子マラソン代表の入船敏・藤原新らを抑え、更に終盤追い上げ、39km地点で尾田賢典とサイラス・ジュイ(ケニア)を追い越した後も懸命にラストスパート、当時自己ベスト記録を約4分更新する2時間8分台をマークし、日本人トップとなる3位に入った。これで「2時間9分30秒を切って日本人トップ」という日本陸上競技連盟の代表選考基準をクリアしたため、2011年9月開催の世界陸上大邱大会の男子マラソン日本代表に内定した。 その世界陸上大邱大会男子マラソン本番では、レース前半は先頭集団の一番前の方を走る積極性を見せたが、16km付近で集団から脱落。一時は30位前後まで下がったが、30kmを過ぎ順位を上げた結果、日本人三番手の17位 でフィニッシュ。ゴール直後は東京マラソン2011同様に昏倒して担架で運ばれ、インタビューを受ける事は出来なかった(日本人首位は堀端宏行の6位入賞、二番手は中本健太郎の9位)。 同年10月30日に開催の第1回大阪マラソンは、日本男子ではトップとなる4位だった。同年12月4日、翌2012年8月開催のロンドンオリンピック国内選考レースの福岡国際マラソンに出場。中間点付近で一旦は日本人争いの集団から遅れるも徐々に追い上げ、36km過ぎで今井正人・前田和浩に追いつき、その後二人をかわして日本人トップの2時間10分を切るタイムをマークし、3位でゴール。その福岡国際からわずか2週間後の同年12月18日に防府読売マラソンへ出場。フルマラソンでは3大会連続で日本人首位の成績だったが、同大会2連覇のセルオド・バトオチルに突き放され2位でゴールした。
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