世界陸上女子マラソン初選出
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「清田真央」の記事における「世界陸上女子マラソン初選出」の解説
2017年3月12日、自身2度目のフルとなった名古屋ウィメンズマラソン2017に招待選手として出場。15Km過ぎまで優勝のユニス・ジェプキルイ・キルワ、同スズキ浜松所属の安藤友香らと共に5Km毎16分台のハイペースへ果敢についていったが、以降徐々に離される。然し、レース後半も5Km毎17分台をキープし大きくペースダウンする事無く、2時間23分47秒と自己記録を45秒更新、総合3位(日本人2着)でフィニッシュ。この好成績により、世界陸上ロンドン大会・女子マラソン日本代表へ、安藤と共に初選出を果たした。 2017年8月6日、3度目のフルとなる世界陸上ロンドン大会・女子マラソン本番に出場。レース終盤の36Km付近迄、日本女子では清田一人が2位集団の後方で必死に食らいつくも、その後完全脱落。日本女子ではトップだったが、結果2時間30分台の総合16位と8位入賞には及ばなかった。これで1997年世界陸上アテネ大会から続いた日本女子の入賞者は、10大会連続で途絶える事となった。
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世界陸上女子マラソン初選出
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「伊藤舞 (陸上選手)」の記事における「世界陸上女子マラソン初選出」の解説
2011年1月30日、第30回大阪国際女子マラソンでは、優勝した赤羽有紀子に惜しくも26秒差で敗れたものの、2時間26分台の2位でフィニッシュ。これが評価されて2011年世界陸上競技選手権大会(大邱市/ 韓国)の女子マラソン日本代表に初選出された。だが世界陸上大邱大会女子マラソンの本番レースでは、外国勢のペース配分についていけず、21位という結果に終わった。 同年12月23日の山陽女子ロードレース・ハーフマラソンの部でも再び赤羽有紀子に優勝を攫われ4位だったが、当時の自己記録となる1時間10分03秒でゴール。 2012年3月11日、ロンドンオリンピック( イギリス)を目指して名古屋ウィメンズマラソンに出場。尾崎好美、赤羽有紀子、野口みずき、渋井陽子、中里麗美など日本女子のトップランナーと共に五輪切符を賭けた戦いに挑んだ。だが37km手前で優勝争いから脱落、2時間25分台の自己記録(当時)を出したものの、5位に敗れてロンドン五輪出場は成らなかった。その後、7月1日の札幌国際ハーフマラソンに出場し、1時間10分52秒で優勝した。 2013年世界陸上競技選手権大会(モスクワ/ ロシア)の選考レース、2012年11月18日の横浜国際女子マラソンに出場優勝のリディア・チェロメイ( ケニア)に約4分離され、2位で日本人トップの那須川瑞穂には24秒遅れて5位に留まった。再び世界陸上選出を目指して、翌2013年4月21日にロンドンマラソンに出場したが、日本女子トップ(3位)の赤羽に約4分離されての8位に終わった。 2014年2月23日、東京マラソン2014に出場。目標の自己記録更新はならなかったが、日本女子ではトップの7位に入った(尚同マラソン終盤では、極端に失速したロンドン五輪男子マラソン代表の藤原新を追い越している)。翌2015年2月15日の全日本実業団ハーフマラソン・女子の部では、優勝した沼田未知に30秒届かず2位だったが、自身ハーフマラソンで初の1時間9分台をマークし自己記録を6秒更新した。
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