フルマラソン初優勝
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2011年1月30日、コースが一部新しく変更された大阪国際女子マラソンへ、3年連続出場となった。低温と強風という悪条件の中、同レースでは終始先頭集団につけ、34km付近から伊藤舞との一騎討ちになる。39km過ぎで赤羽はスパートを掛けて伊藤を引き離し、そのまま長居スタジアムにトップで入り、5度目のマラソンにして念願の初優勝を果たした(なお世界陸上大邱大会女子マラソン代表入りも大きく前進となるが、内定条件の2時間26分00秒には惜しくも届かなかった)。 2011年4月17日のロンドンマラソンに2年連続で出場。赤羽自身は大阪の後に本大会への出場を決めていたが、3月11日に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生により3月13日の名古屋国際女子マラソンが中止となったことから日本陸上競技連盟がロンドンマラソンを急遽世界陸上大邱大会の代表選考競技会に指定した為、日本女子選手が多く参戦した大会となる。レースでは自己ベストタイムとなる2時間24分08秒でゴール。結果日本選手トップとなり、順位は前年と同じ6位であった。
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フルマラソン初優勝
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2019年12月開催のアジアマラソン選手権(中国・東莞市)男子マラソンへ、神野自身初のマラソン日本代表として出走。6Km付近で北朝鮮の選手が一人飛び出すが、追わないで2位グループに。1分近く差がついた30Km辺りから徐々に追い上げ、40Km地点では僅か10秒差になる。暫定首位の北朝鮮選手がコースを間違えるアクシデントで追い付き、最後は激しいデッドヒートを繰り広げる中、ゴール手前でコースを間違えた北朝鮮選手を逆転、お情けのような形でフルマラソン初優勝を達成した。金メダルを胸に掲げて帰国した神野は、「マラソンランナーとして新たなスタートになった。継続する事の大切さを感じたし、何より努力は裏切らない。信じてやって来て良かった」と述べた。 MGCファイナルチャレンジ第2弾の、2020年3月に行われた東京マラソン2020へ3年連続で出走。自身レース前には「2時間8分台を切りたい」と宣言したものの、30Km地点を過ぎてからズルズルと後退。結局2時間12分台の総合39位(日本人30着)に終わり、又してもサブテン達成は果たせなかった。 2020年4月より、2012年ロンドンオリンピック・男子マラソン日本代表元選手で、現スズキアスリートクラブ(静岡県浜松市・本拠地)・藤原新ヘッドコーチより直接指導を受けている。その際、藤原コーチからは「過去の練習データを見ると、もう少し全体的な走行距離を増やした方が良い。レースに向けて約3カ月は少なくとも700~800Kmは必要だ」と指摘されていた。 2020年12月、2年ぶり3回目となる第74回福岡国際マラソンに出場。16Km地点迄はハイペースの先頭集団についていくも、その後完全にスローダウン。27Km過ぎでは川内優輝に追い越されてから間もなくして、28Km付近で途中棄権に終わった。 2021年2月、第76回びわ湖毎日マラソンへ一般参加選手で出走。レース序盤から先頭集団につかず、5Km毎に約15分丁度のイーブンペースで進む第2集団に待機していたが、15Km過ぎで第2集団から脱落する。その後もペースを上げられず、後続の選手に次々と追い抜かれ、総合142位の大惨敗だった。
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