箱根駅伝燃え尽き症候群
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「東京箱根間往復大学駅伝競走」の記事における「箱根駅伝燃え尽き症候群」の解説
箱根駅伝で大活躍した選手が大学卒業後に実業団に入ったものの、期待された程の活躍ができずに故障や不調に悩まされて引退した選手も少なくない。出場できても卒業せずに中退した者まで現れている。 早稲田大学時代に箱根駅伝で4年連続区間賞(区間新3回)を記録した武井隆次は、トラック、駅伝と季節を問わずフルに走り続けた影響からか卒業後は長い故障にさいなまれ、ヱスビー食品時代の日本代表歴は、29歳の時のアジア大会・マラソン代表のみにとどまった。 同じく早稲田大学出身の渡辺康幸は、箱根駅伝では2年次に1区区間新、3年次に2区区間新など華々しく活躍し、トラックでも4年次に世界陸上競技選手権イェーテボリ大会10000m12位、ユニバーシアード福岡大会10000m金メダルと輝かしい成績を残した。しかし過密スケジュールによる慢性疲労が徐々に体を蝕み、卒業前に予定していた東京国際マラソンは欠場に追い込まれ、急遽出場したびわ湖毎日マラソンも7位に終わった。ヱスビー食品入社後1996年アトランタオリンピック10000m代表に選ばれるが、左アキレス腱の故障で欠場。以降度重なるアキレス腱の故障に苦しみ、2002年に29歳の若さで引退した。 近年では「新・山の神」と称された柏原竜二が、卒業後相次ぐ怪我に悩まされ富士通入社からわずか5年で引退した 他、青山学院大学の過渡期のエースとして活躍した出岐雄大はモチベーション低下により中国電力入社からわずか3年で引退した。 外国人留学生ではメクボ・ジョブ・モグス、ギタウ・ダニエル等が実業団入り後、大学時代ほどの活躍が出来ていない。 対照的に、箱根駅伝を走らずに実業団や世界に通用した選手も存在する。 龍谷大学出身の高岡寿成は洛南高校時代、3年連続で全国高校駅伝に出場し、3年次に4区で当時の区間新記録を樹立する等ロードでの実績はあったことから、関東の大学からもスカウトを受けていたが全て断った。しかしトラック中心の練習の成果により、大学4年次には5000mの日本記録を樹立した。カネボウに入社後も、3000m、5000m、10000mで日本記録を次々に樹立し、2002年のシカゴマラソンでは日本記録を樹立。世界大会でのメダルこそ獲得できなかったものの、30代後半まで第一線で活躍を続けた。 1988年ソウルオリンピック、1992年バルセロナオリンピックで4位入賞した中山竹通、そのバルセロナオリンピックで銀メダルに輝いた森下広一も箱根駅伝未経験者である。 青山学院大学出身の橋本崚は、大学在籍時は全日本大学駅伝には2回出場したが、箱根駅伝は一度も走っていない。卒業後、GMOアスリーツに入ってからは頭角を現し、2016年の防府読売マラソンで初優勝。2019年のMGCでは5位に入っている。 箱根駅伝創設の目的は「世界に通用する長距離選手の育成」であるが、実際には多くの選手が箱根駅伝を最終目標としており、卒業後は実業団に進まず競技の第一線から退くのが現状であり区間賞・区間新記録を樹立した選手も例外ではない(中澤晃、鐘ヶ江幸治、高橋宗司)。一方で、箱根駅伝という大きな目標があるからこそ、モチベーションを保って陸上競技を続けている選手が多い、という一面もあり、日本の男子陸上長距離界の裾野の拡大に箱根駅伝は貢献していると主張する者も多い。 山梨学院大学出身の尾方剛は、箱根駅伝は2年次の第70回箱根駅伝10区で区間賞を獲得し山梨学院大学の優勝に貢献したものの、度重なる故障に苦しみその1回しか出場できなかった。中国電力入社後、30歳ごろからフルマラソンで結果を残せるようになり、2004年12月の福岡国際マラソンでフルマラソン初優勝を果たす。そして翌2005年8月の世界陸上ヘルシンキ大会本大会では、2時間11分16秒の好成績で日本人トップの3位入賞、銅メダルを獲得した。なお、尾方を最後に現在まで世界陸上、およびオリンピックでメダルを獲得した日本人選手は現れていない。 学習院大学で学連選抜ランナーとして出場した川内優輝も卒業後実業団に所属しなかったが、公務員と市民ランナーを両立しながら実業団の選手に引けをとらない活躍を見せている。 青山学院大学出身の吉田祐也は、3年次までは箱根駅伝に1度も出場経験が無く、大学卒業後は競技の第一線から退く事を表明していた。しかし、最終学年に初めての箱根駅伝で4区を走ると区間新記録を樹立し、青山学院大学の2年ぶりの優勝に貢献。その1ヶ月後の別府大分毎日マラソンで初マラソンを走り、学生歴代2位、初マラソン歴代2位となる2時間8分30秒を記録したころから、原晋監督をはじめ、陸上関係者から競技継続を薦められる。結果、引退を撤回し、内定先の企業を辞退し、急遽GMOアスリーツに入社した。卒業後、2020年12月の福岡国際マラソンに出場、2時間7分05秒の自己記録で2回目のマラソンにして初優勝を飾った。 北京オリンピック以降の男子マラソン代表は、全て箱根駅伝経験者で占められている(北京…尾方、佐藤敦之、大崎悟史。ロンドン…中本健太郎、山本亮、藤原新。リオデジャネイロ…佐々木悟、北島寿典、石川末廣、東京…中村匠吾、服部勇馬、大迫傑)。 2019年のMGCでエントリーした31人中、箱根駅伝経験者が25人も占めており、「元祖山の神」こと今井正人や「三代目山の神」こと神野大地も、この25人の中に含まれている。また、MGCでエントリーされた選手のうち、箱根駅伝未経験なのは前述の橋本崚の他、木滑良、宮脇千博、岩田勇治、上門大祐、河合代二のわずか6人であった。尚、ニューイヤー駅伝にて2017年から2020年まで4連覇を達成した旭化成所属の選手はMGCに1人もエントリーされなかった。 2017年後半以降、箱根駅伝経験者である大迫、設楽悠太、井上大仁等がマラソンで相次いで好記録を出しており、2019年のMGCで1位の中村、2位の服部も箱根駅伝経験者である。
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