実業団入り後
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「前田彩里 (陸上選手)」の記事における「実業団入り後」の解説
2014年4月、大学卒業後は大学の先輩でもある木﨑良子が所属するダイハツ工業に入社、同年12月の第34回全日本実業団対抗女子駅伝競走大会では3区で出場、11位で襷を受けると自分より前を走っていた9人のランナーをゴボウ抜きする区間2位の快走でチームを2位に押し上げて4区走者にリレー、総合優勝のデンソーに次いでチームを過去最高の2位(準優勝)の好成績へ導いた。翌年1月の全国女子駅伝ではふるさと熊本県チームのアンカー9区で出場。襷を受けた時点で入賞圏内8位と1分9秒差の10位であったが2人を抜いて8位でゴール。チーム入賞に貢献するとともに区間賞、優秀選手を獲得した。
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実業団入り後
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大学卒業後の1982年4月、佐々木功監督の率いる日本電気ホームエレクトロニクス(略称・NEC-HE。当時は新日本電気)へ入社。同社陸上競技部へ入部してから、女子マラソンで頭角を現し始める(NEC-HE陸上部は当時より男子部員のみ所属で、その後も女子部員は浅井一人だけであった)。 ロサンゼルスオリンピックの選考レースだった1984年3月の名古屋女子マラソン(のち名古屋国際女子マラソン)では、2時間38分台のタイムで日本人最高の4位となるが、増田明美・佐々木七恵の二人とは力の差があるとして、惜しくもロス五輪代表には選出されなかった。ロス五輪後の1984年11月、東京国際女子マラソンではドイツ(当時東独)のカトリン・ドーレに次ぐ2位入賞を果たし、当時日本女子歴代2位となる2時間33分台の好タイムを記録した。直後に増田・佐々木が相次いで一線を退いたため、浅井らが日本女子長距離走・マラソンの第一人者となる。東京国際のゴール直後の会見では、浅井の「全て佐々木監督のおかげです」というコメントが注目されてからマスコミ陣が殺到するが、この頃の浅井は「私はタレントじゃないから何度も取材は受けたくない」とウンザリしていたという。
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