実業団選手時代とは? わかりやすく解説

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実業団選手時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 04:08 UTC 版)

谷口浩美」の記事における「実業団選手時代」の解説

旭化成陸上部では、1985年別府大分毎日マラソン初マラソン初優勝達成その後、再び教員採用試験に臨むも不合格となり、やむなく現役続行決意するが、1987年東京国際マラソン優勝ロンドンマラソン優勝など更に活躍続ける。しかし1987年福岡国際マラソン(翌1988年ソウルオリンピック男子マラソン代表選考レース)では優勝した中山竹通ハイペースについてゆけず6位と完敗1988年東京国際マラソン選考レースに再挑戦するも、レース前嘔吐する体調不良響いて9位に敗れソウル五輪代表には選出されなかった。 しかし1988年10月北京国際マラソンでは優勝したアベベ・メコネンに僅か5秒及ばなかったが、マラソン自己ベスト記録となる2時間7分40秒の世界歴代7位(当時)で準優勝果たした1989年には東京国際マラソン優勝北海道マラソン優勝1990年にもロッテルダムマラソン優勝など好成績残した1991年9月開催され世界陸上東京大会男子マラソン気温30度を超す高温多湿過酷なコンディションとなり、中山竹通やメコネンら60人中24人が途中棄権する中、谷口は38km過ぎからスパートして先頭集団抜け出し2位アーメド・サラ29秒差をつけ1位でゴール日本人選手として世界陸上大会史上初の金メダル獲得した2019年現在世界陸上選手権優勝した日本人男子選手谷口室伏広治鈴木雄介だけである。 1992年バルセロナオリンピック男子マラソンでは優勝候補1人とされていたが、20km過ぎの給水地点後続選手左足シューズの踵を踏まれ転倒し、さらにシューズ脱げて履き直すアクシデント見舞われ30秒余りタイムロス負ったことが大きく影響し優勝争いから脱落。しかしレース後半順位上げ結果8位入賞果たしたゴール後のインタビューで、苦笑い浮かべつつも「途中で、こけちゃいました」「これも運ですね。精いっぱいやりました。」とコメントした以降フルマラソン出場レースでは優勝果たせなかったものの、これまでの実績評価され1996年アトランタオリンピック五輪大会連続出場果たし選手団主将務めた。しかし同五輪男子マラソン日本人トップではあったが、入賞争いには絡めず19位に終わった

※この「実業団選手時代」の解説は、「谷口浩美」の解説の一部です。
「実業団選手時代」を含む「谷口浩美」の記事については、「谷口浩美」の概要を参照ください。

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