実業団入り・初マラソン
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「佐々木精一郎」の記事における「実業団入り・初マラソン」の解説
1964年、高校を卒業後、九州電工(現・九電工)に入社。1965年の金栗記念熊日30キロロードレースでは、弱冠19歳ながらマラソン前世界記録保持者の寺沢徹を相手に熾烈なトップ争いを展開して、寺沢から6秒遅れの2位に入賞する。 20歳でフルマラソンに初挑戦した第15回別府毎日マラソン(現・別府大分毎日マラソン)(1966年2月13日)では2時間15分32秒で4位に入賞。4位までの4選手(寺沢徹、岡部宏和、君原健二、佐々木)が2か月後のボストンマラソンの出場権を得た。 迎えたボストンマラソン(1966年4月19日)では、向かい風の中、この日本人4選手のデッドヒートとなり、レース終盤の「心臓破りの丘」を越えた残り800メートル地点で君原が抜け出し、2時間17分11秒で優勝。佐々木が2時間17分24秒で2位。寺沢・岡部が後に続き、上位4位までを日本勢が独占するという快挙を演出した。
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